【10月号 巻頭対談】尾木ママ×ドクター明橋

巻頭には教育評論家の「尾木ママ」こと尾木直樹さんが登場!
「ハッピーアドバイス」でおなじみ、明橋大二先生とのスペシャル対談。
若者の自殺が増え、生きる意味が問われる今、一人一人の「生きる力」の大切さについて語り合います。

「どんなに失敗したって君には生きる価値があるんだよ」
人づくりの基本にある心の土台を育てる

――生きていくうえで安心感は大事な感情ですね。 お二人は、いじめや虐待などの問題を考える時、生きる力ともいえる、「自己肯定感」を高めていくことが 大切だと指摘されていますが、現状をどうごらんになっていますか。

尾木)自己肯定感が低いのは、日本人の突出した特徴なんです。子どもから大人まで年代を問わず、自己肯定感が低いんですね。

明橋)諸外国の中でも際立って低いです。自分が生きていることに自信が持てないということですね。

尾木)日本の若者の自殺率は先進国の中でもワースト1なんです。大人の自殺は年間二万人くらいに下がっていますが、若者だけ増えています。生きづらいんです。若い人が自ら命を絶つというのは、とても深刻な問題です。重要なのは、この月刊誌のタイトルでもある『なぜ生きる』ですね。

明橋)私の知り合いに、いじめや虐待を受ける子どものための電話相談(チャイルドライン)の担当者がいるんですが、この十年で相談の内容が変わったと言います。以前は、いじめや人間関係、性の悩みなどが大半でしたが、最近は「死にたい」とか「どうしたら死ねますか」といった、「死」という言葉が出てくる相談が明らかに増えているそうです。

――生きる力ともいえる「自己肯定感」はどのように育まれるのか。まずはご自身の自己肯定感について教えていただけませんか。

尾木)ボクはね、とにかく失敗が多いんですよ。そそっかしいから、同じ失敗を何度でも繰り返しちゃう。でも母親が「だいじょうぶ、だいじょうぶ」って言うんですよ。親が「だいじょうぶ」って言うんだからって、のほほ〜んとやってると、また失敗しちゃうんだけど、それでも「だいじょうぶ」って言うんですよ。もう失敗の連続でしたから。

――それは意外な感じです。どんな失敗ですか。

尾木)まず、県立高校の入試に落ちました。しかも、高校一年も二度やってるんです。これはなかなかない。引っ越し先の高校で二年の編入試験を受ける時、一年の時の体育の単位が足りなかったんです。何でかというと、体育の授業で、クラスメートが教師から蹴られているのが耐えられなくて「先生、やめてください」って叫んだんです。そしたら、逆切れされて「おまえはもう俺の授業を受けるな」って言うから、授業をずっとボイコットしてたら「赤点」です。それで、高一をもう一回。意地になって修学旅行も体育祭も行かず、砂をかむような高校生活でした。

 それに、大学も現役の時は全部落ちた。受験勉強が本能的に嫌いでしたからね。教員採用試験にもまた落ちたの。試験前日にむち打ち症になって。目がまぶしくて首も動かせない。

 それでも母親は「だいじょうぶ、だいじょうぶ」って言うんです。意味が分からなくて、「何でだいじょうぶなの?」って聞いたら、「直樹は、大器晩成型だから」って。母親は小学校の教員だったから、歴史物語や歌やことわざなんかを使って説き諭すのが得意なんですね。「山椒(さんしょう)は小粒でもぴりりとからい」とかね。これで、背が小さいことにもあまりコンプレックスを持たずに育ったんです。ボクの自己肯定感は、そんな母親の言葉によるところが大きいですね。

――やはり母親の言葉は、重い。

尾木)よく覚えているのは、小学五年の時、学校から帰ると、いつものようにその日の予定を聞かれたんですが、翌日は学校が休みなので「宿題は、明日やるよ」と答えたん です。すると母親が「直樹、ちょっとこっちに来なさい」と言ってね、囲炉裏(いろり)の横に座らされた。

 母親は、昔、親鸞聖人(しんらんしょうにん)という偉い人がいて「明日ありと 思う心の あだ桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは」という歌を詠んだと言うんです。さっぱり意味が分からなかったんですが、「この歌はね、明日があると思って、桜の花を明日、観賞しようと思っていても、夜中に嵐が吹いて散ってしまうことがある、という意味なんだよ。今日できることは今日中にやりなさいということを教えられているのよ」と言う。へえ、なるほどなと思って、それが染みついちゃって、七十歳を超えた今でも、着替がえなんか明日の準 備は全部、枕元にセットしないと眠れないんです。

 だから、色紙にはよく「ありのままに今を輝く」って書いています。今、輝くことが大事なんですね。いつなんどき交通事故で亡くなるやら、分からないでしょ。

明橋)私の場合は、二十歳くらいまで自己肯定感は低いほ うだったと思います。三人兄妹の真ん中で、当時は「あまえたの大ちゃん」て言われていました。「あまえた」とは 関西でいう甘えん坊のことです。ただ、親の顔色を見ながら、いい子を演じるところが あって、本当の自分を出してはいけないと思っていたから、苦しさもありました。だから 自己肯定感といっても、ようやくこの二十年くらいのことでしょうか。私の書いた本に、全国の読者から「救われました」「助けられた」っていう声が寄せられて、ようやく自分はこれでいいかなって思えるようになってきたんですね。

尾木)まあ、そうですか。

明橋)それに私、この丸い顔がコンプレックスで、なんとか細くならないかなって思っていました。でもこの丸い顔がいいという声もあって。これでいいのかなって、ようやく思えるようになってまいりました(笑)

尾木)そのお顔、落ち着きますよ~。癒いやされます(笑)

明橋)自己肯定感っていうのは、自分のいいところも、悪いところも全部受け止めてもらえて、初めて育つものなんですね。いい子の時は受け入れられても、失敗したら嫌われるんじゃないかっていう不安があるのは、本当の自己肯定感じゃないんです。

(令和元年10月号より一部抜粋・編集)

本誌では、「教室」「診察室」の枠を超えた活動を展開される経緯や、いじめや虐待などの問題の実情と展望についてお二人に語っていただきました。
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