【試し読み】歌いませんか、こんな時こそ!|日本音楽健康協会・理事長 戸塚圭介さん
「つらい時、悲しい時、何か心を明るくすることに取り組んでいますか?」
こう聞かれたら、どう答えますか。皆さんの中にはカラオケをあげる人もあるでしょう。
実は、2011年に発生した東日本大震災の時、被災者の心のケアに、大きな力を発揮したのがカラオケだったのです。しかも、医学的にも効果があることが、ニューヨークの国連本部で報告され、世界から注目されるようになりました。
カラオケと被災者支援は、どのような関係があるのでしょうか。前号に引き続き、一般社団法人日本音楽健康協会の戸塚圭介理事長にお聞きしましょう。
戸塚 私たちは、「国連の友医療団」からの要請で、「うたと音楽」を被災者支援に活かす取り組みを始めたのです。
山崎 世界中の被災地で医療活動を展開してきた国連が、どういう経緯で、カラオケに注目したのでしょうか。
戸塚 「国連の友医療団」は、震災後、直ちに被災地で救援活動、医療活動を開始しました。当初は、医療機関のほとんどが壊滅的な損害を受けたため、避難所での救急医療が主でした。
その後は、心のケアが中心となっていきます。
特に、被災者が避難所から仮設住宅に移った地域では、コミュニケーション不足や不安感から、「孤立化」「閉じこもり」などの問題が発生し、心のケアの必要性が高まっていたのです。「国連の友医療団」は、これらを解決するために、阪神・淡路大震災の教訓を活かそうとしました。
つまり、心のケアには、「交流の場づくり」「生きがいづくり」「ストレス発散の場づくり」が必要だと考えたのです。
そのために生まれたアイデアが、日本発祥の文化「カラオケ」を使うことでした。
山崎 被災地に、カラオケルームを作ったのですか。
戸塚 いいえ。心のケアを目的としたカラオケカーを設置し、巡回診療医療がスタートしたのです。この活動は5年間続きました。
山崎 カラオケ用の車ですか。
戸塚 はい。トラックの後部をカラオケルームに改造した車です。
東京を出発するカラオケカーの姿は、NHKニュースはじめ、多くのメディアで報じられました。
カラオケカーが最初に訪ずれたのは、岩手県大船渡市の宮田仮設住宅です。2012年1月21日のことでした。
狭く、寒い仮設住宅は、壁が薄く、隣家に咳払いが聞こえるほどでした。居住している人は、声も満足に出せない状況が続いており、計り知れないストレスを抱かかえていたのです。
山崎 仮設住宅の皆さんは、カラオケカーを、どのように利用されたのでしょうか。
戸塚 とても喜んでいただきました。車内に設置したメッセージノートには、次のような声が記されていました。
「カラオケカーに来て、好きな歌を歌いながら思いっきり泣いています。狭い仮設では涙さえ自由に流すことができませんでした……」
「震災が起きて、車も家も流されてしまいました。仮設住宅の中で静かに過ごすだけでしたが、カラオケカーが来てからは、ここが私たちの憩いの場になりました」
「カラオケカーの中では、歌わなくても、皆の歌や会話を聞けるのが楽しく、誘われるといつも参加していました。大声で笑ったり、会話したりできるのが、私たちにとって、とても大切な時間となりました」
「仲間と笑って話ができました。このようなことが、いちばん大切だと思った」
「仮設住宅では、隣に音が聞こえるので神経を使って生活しています。そんなストレスがたまる毎日ですが、今日は、大声で歌えて、ストレス発散になりました」
「懐かしい歌を同世代で歌い、楽しかった記憶がよみがえったあと、幸せな気持ちになり涙がこぼれました」
「ストレス解消に最高でした。希望を持って一歩ずつ前進していく気持ちになりました」
「時間があるたびに利用しています。大好きな歌を大きな声で歌えば、もやもやした気分も晴れます」
「歌って、大声で笑いました。命がある今に感謝しています」
このような喜びの声が、山のように届いているのです。
(『月刊なぜ生きる』令和3年12月号より)
全文をお読みになりたい方は『月刊なぜ生きる』令和3年12月号をごらんください。
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