『月刊なぜ生きる』―親のこころ

昭和から平成、そして令和へと時代は変わりましたが、変わらぬものは親のこころ──。

平成15 年より刊行した『親のこころ』シリーズでは、募集した読者のエピソードは2,000通を超え、大きな反響を呼びました。

『月刊なぜ生きる』にも掲載を期待する声におこたえし、読者の皆様から、「“親のこころ” 体験談」を募集し、誌面に掲載しております。

夢をかなえさせてくれた父と母の言葉(72歳・女性)

私には、幼稚園の先生になりたいという夢がありました。

私は末っ子でしたが、自分より小さい子の面倒を見るのがとても好きだったのです。

その夢を最初に打ち明けたのは、父でした。

小学三、四年生の頃です。

父は、とても喜んでくれ、「おまえが決めた道なら、自分が思うように進みなさい」と笑顔で言ってくれました。

ところが私が高校に入った年、父はガンで亡くなりました。

突然のことでした。家計のことを考えると、母に苦労をかけてまで、夢を追いかけることはできない。

私は、 幼稚園の先生になるために目指していた大学進学をあきらめることにしたのです。

このことを母に伝えると、とたんに叱られました。

「お父さんが亡くなったことと、あなたの将来とは関係ない。

あなたの将来はあなた自身のため。

悲しむのはもういいから、受験に専念して、お父さんを喜ばせてあげなさい。

お父さんはね、

『自分がいなくなったからといって、決してあの子に夢をあきらめさせてはいけない』と言っていたんだよ。

学費は私が何としてでも出すから、あなたは自分の夢をかなえるために頑張りなさい」

母のおかげで、私は大学に進み、夢だった幼稚園の先生になることができました。

初めは、子供たちが言うことを聞いてくれず苦労しましたが、

「同じ目線で話をしてあげなさい」と母が助言してくれました。

研究、努力を重ね、子供たちと心を通わせることができるようになった時は、とてもうれしかったのを覚えています。

家の事情で幼稚園は途中で退職しましたが、子供たちから教えられることは多く、かなうなら、またもう一度やってみたいとさえ思います。

病に倒れても私のことを思い続けてくれた父、厳しくも押し出だしてくれた母。

どんなつらい時でも頑張ばってこられたのは、両親のおかげと、懐かしく思い出されます。

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