【歎異抄の旅】赤山明神・恋する女性との出会い

歴史小説家の司馬遼太郎は、
「無人島に1冊持ってゆくなら、『歎異抄(たんにしょう)』だ」
と語っていたそうです。

司馬さんがそこまで言われる『歎異抄』とは、どんな古典なのでしょうか?

その魅力を探るために、
親鸞聖人(しんらんしょうにん)の旧跡を旅するシリーズです。

美しい女性との出会い……。

それは、若き日の親鸞聖人にとって、激しく、苦しい恋の始まりでした。

「えっ! 比叡山の修行僧が女性に心を奪われるなんて……」

こんな疑問がわくかもしれません。

どんな高僧といわれる人でも、人間である以上は、欲、怒り、恨み、ねたみなどの煩悩を消すことはできません。

親鸞聖人は、偽らず、ごまかさず、自らの心を見つめ、「恋」という名の煩悩と格闘されました。

その姿は、多くの伝記、小説、映画に描かれています。

今回は、親鸞聖人が美しい女性と出会われた場所・赤山明神を訪ねてみましょう。

赤山明神に現れた謎の女性
  「なぜ、女を差別するのですか」

なぜ、仏教を求めるのか。
なぜ、厳しい修行をするのか。

この目的が分からないと、親鸞聖人の生涯も、古典『歎異抄』も理解できなくなります。

幼くして両親を亡くされた親鸞聖人は、「次に死ぬのは自分の番だ」と、無常を強く感じられました。

「死んだら、どこへ行くのか」
「死後は、あるのか、ないのか」

えたいの知れない不安と疑問がわいてくるのです。

人は必ず死にます。これらの不安や疑問は、すべての人にとっての大問題です。

この大問題を、仏教では「生死の一大事」といいます。

「生死の一大事」を解決し、この世から永遠の幸福になるために仏教を求めるのです。

親鸞聖人は、9歳で出家を決意し、比叡山延暦寺の僧侶になられました。

延暦寺は「自力の仏教」です。

欲、怒り、恨み、ねたみなどの煩悩を抑えて難行苦行に励むことによって、「生死の一大事」を解決しようとする教えです。

親鸞聖人は、この教えに従い、千日回峰行も成し遂げられたと伝えられています。

まさに、煩悩と格闘の日々でした。

そんなある日、親鸞聖人が、都から比叡山へ戻ろうとして、赤山明神の前を通られた時のことです。

どこからともなく、

「親鸞さま、親鸞さま」

と呼びかける女の声がしました。

「こんな所で、誰だろう?」

振り返ってみると、ハッとするほど美しい女性が立っていました。

「私を呼ばれたのは、そなたですか」

「はい。私でございます。親鸞さまに、ぜひ、お願いがあって……。どうか、お許しください」

「この私に、頼み?」

「はい、親鸞さま。今からどこへ行かれるのでしょうか」

「修行のために、山へ帰るところです」

「それならば、親鸞さま。私には、深い悩みがございます。どうか山にお連れください。この悩みを何とかしとうございます」

「それは無理です。あなたもご存じのとおり、このお山は、伝教大師(でんぎょうだいし)が開かれてより、女人禁制の山です。とても、お連れすることはできません」

「親鸞さま。親鸞さままで、そんな悲しいことをおっしゃるのですか。伝教大師ほどの方が『涅槃経(ねはんぎょう)』を読まれたことがなかったのでしょうか」

「えっ、『涅槃経』?」

「はい。『涅槃経』の中には、『山川草木(さんせんそうもく)悉有仏性(しつうぶっしょう)』と説かれていると聞いております。すべてのものに仏性があると、お釈迦さまは、おっしゃっているではありませんか。それなのに、このお山の仏教は、なぜ女を差別するのでしょうか」

「……」

「親鸞さま。女が汚れているから、と言われるのなら、汚れている、罪の重い者ほど、余計に哀れみたまうのが、仏さまの慈悲と聞いております。なぜ、このお山の仏教は女を見捨てられるのでしょうか」

鋭い指摘に、親鸞聖人は、返す言葉がありませんでした。

今でこそ比叡山は、観光バスや自家用車、ケーブルカーなどで、誰でも登ることができます。

どの寺へ参拝するのも自由です。

しかし、明治時代までは、「女人禁制」「女人結界の地」として、女性の入山は固く禁じられていました。

老苦、病苦にさいなまれ、やがて死んでいくのは、男も女も同じです。

「死んだらどうなるのか」と、真っ暗な心に苦しんでいるのは、男だけではないのです。

それなのに、なぜ、比叡山の仏教は、女性を差別するのか……。

赤山明神に現れた女性の言葉は、親鸞聖人の胸に深く突き刺さるのでした。

噴き上がる恋の炎
  煩悩との格闘が続く

やがて女性は、

「親鸞さま。どうか、すべての人が平等に救われる教えを明らかにしてくださいませ」

と言い残し、どこへともなく去っていきました。

しかし、親鸞聖人の心には、この日から異変が起きたのです。

吉川英治は、小説『親鸞』に、次のように書いています。

(・・・本誌につづく)

その後、「恋」という名の煩悩に格闘される親鸞聖人が描かれています。

この記事は、『月刊なぜ生きる』令和2年8月号に掲載されています。

全文がお読みになりたい方は、本誌でごらんください。