森鴎外の『高瀬舟』を『歎異抄』で読み解く|歎異抄の旅
森鴎外の代表作『高瀬舟(たかせぶね)』のテーマは、『歎異抄(たんにしょう)』と深い関係があります。
森鴎外が、『高瀬舟』を発表したのは大正5年。
それ以来、さまざまな議論が繰り返されてきました。
百年以上たった今日でも、いまだ、解決していない難問です。
小説を要約して、問題を浮き彫りにしていきますので、皆さんも、鴎外が出題したクイズに挑戦してみてください。
徳川幕府の時代、島流しになる京都の罪人は高瀬舟で大阪へ送られました。
ある日、弟を殺した喜助という30歳くらいの男が乗せらます。
護送役の役人・羽田庄兵衛は、喜助がいかにも晴れやかな顔をしていることを不審に思い、訳を尋ねるところから物語は始まります。
喜助は、とがめられたのかと思って、恐る恐る「私は今、懐に二百文の銭を持っているからです」と答えました。
このお金は、島での生活資金として、奉行所が罪人に与えたものですが、二百文は今のお金に換算すると約二千円です。大金ではないのに、なぜ、そんなにもうれしいのか……。
喜助は、こう説明します。
「これまで、私には居場所もなく、決まった仕事もありませんでした。生きるために、どこかに仕事がないかと、探し回っていました。お金になることならば、何でも、骨身惜しまず働いたのです。それでも、受け取った給料は、いつも右から左へ消えていきました。借金を返すためです。そして再び、食べるために借金をし、借金を返すために働いてきました。こんな毎日だったので、現金が手元に残ることはなかったのです。ところが今、私の懐には、二百文もあります。私にとって初めての蓄えなのです。こんなうれしいことはありません」
喜助の話を聞いて、役人の庄兵衛は、「自分と喜助の身の上に、どれだけの違いがあるだろうか。金額の桁が違うだけで、同じではないか」と考え込んでしまいました。
喜助は、とても不幸で、かわいそうな生活をしてきた男です。
それに比べれば、庄兵衛には妻と4人の子供、老母、合わせて7人で暮らす家があります。
町奉行所の役人としての定職があり、決まった額の給料をもらえます。妻の実家は裕福な商人なので、たまには、経済的な援助を受けることもあります。
それでも、家族全員の暮らしを支えるのが厳しくて、自分の給料は、すべて右から左へと消えていくのです。
庄兵衛は、喜助よりも格段に恵まれているはずなのに、これまで「満足」を感じたことがありませんでした。
いや、満足どころか、
「もし、突然、仕事を解雇されたら、どうしよう」
「もし、大きな病気になったら、家族を養えなくなる……」
という不安と恐れが、常に心の奥底に潜んでいることに、今さらながら、気づいたのです。
庄兵衛は、これまで、「人の一生」を落ち着いて考えてみたことがなかったのです。
しかし今、罪人の喜助と自分を比べてみて、人間は、何を、どれだけ求めたら、満足できるのだろうか、と大きな疑問にぶつかったのでした。
鴎外は、自ら『高瀬舟』を解説して、次のように分析しています。
人の欲には限がないから、銭を持って見ると、いくらあればよいという限界は見出されないのである。
(『高瀬舟縁起』より)
では、限りない「欲」を持った人間は、どうすれば幸せになれるのでしょうか。
これが、第一のクイズです。
実は、森鴎外が『高瀬舟』で指摘した人間の姿は、すでに鎌倉時代の『歎異抄』に、明らかにされているのです。
(『月刊なぜ生きる』令和2年11月号より)
本誌では、欲を持った人間が幸せになるにはどうしたら良いかを『歎異抄』からひも解いています。
さらに『高瀬舟』で問題提起されているもう一つの難問「安楽死」について仏教ではどう捉え、『歎異抄』には何が教えられているかを紹介しています。