【試し読み】教科書にも載る「新しい墨絵」を生み出した墨絵アーティスト 茂本ヒデキチさん
伝統の「墨絵」には見られなかった題材、アスリートやミュージシャンなどを描いてエネルギッシュな白と黒の世界を生み出す。それが墨絵アーティスト、茂本ヒデキチさんである。代表作の一つが、羽田空港のボーディングブリッジを彩る、東京五輪パラリンピック競技の選手たちを描いた墨絵81枚。雑誌の表紙、小説の挿絵などでも人気を呼ぶ異色の墨絵師の作品は、「新しい墨絵」として高校の美術教科書にも採用された。生命感あふれる絵にはどんな思いが込められているのか──。「私の絵で元気になる人が一人でもいてくれれば」と語るヒデキチさんに聞いた。
蝶のように筆が舞うと
紙の上に「人」が息づく
「ライブペイント」は、ヒデキチさんの母校、大阪芸術大学のスカイキャンパス(大阪・あべのハルカス24階)でも開催された。平成30年5月、会場の壁に張り出された3枚の紙(各縦180センチ×横90センチ)の前に、黒装束のヒデキチさんが登場。三味線などの和風音楽のテンポに乗って、墨の筆が、白い紙の上を蝶が舞うように動き回ると、次第にサッカー選手やサムライなどの人物が浮かび上がってきて、熱い呼吸を始める。観衆から、ため息と拍手が沸き上がる。
完成までわずか15分──。「何を描いているか最初は分からないと思いますが、いつの間にか、人物が現れてくるので、皆さんびっくりされます」
大阪芸術大学のスカイキャンパスで開催された茂本ヒデキチさんのライブペイント。
3枚の紙に同時に人物が描かれていく(平成30年)
「1枚」の作品のために
土台となる「99枚」がある
どうして、そんなに速く描けるのだろうか。
「よく聞かれますが、確かに1枚の絵は、10分もかからないんですね。ただ、その絵が生まれるまでは、100枚は描きます。最初から、完成した1枚の絵は何となく見えているのですが、これじゃない、これじゃないって、何枚も描いているうちに、途中から何か降ってくるような瞬間があって、いろんなものがそげていって、ふっと描ける時があるんですね。最後の1枚のために、土台となる99枚があるんです。完成まで1週間や10日はかかりますね」
だからライブペイントでも「事前の下書きは、死ぬほどやります」と、言葉に力を込める。
「その意味では、スポーツ選手と似ているかもしれませんね。日頃の鍛錬が大切です。墨を持たないで、3、4日旅行すると、もう描けません。アスリートが一瞬の本番のために、長い期間、調整するように、絵もそのくらいの真剣勝負が求められます」
ふだんの生活、心掛けが大事なのだと言う。「ライブパフォーマンスをする人を見ていても、描く時になって急に、精神集中したり瞑想したりするような人は、ああ、この人はふだんはやっていないなって分かるんですね。『はい、描きます』と自然に入っていく人が、ふだんから心がけている人です。そういうものだと思います」
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墨絵の世界に新風を吹き込んだヒデキチさんだが、必ずしも最初から順風満帆なアーティスト人生というわけではなかった。躍動感あふれる中にも、どこか温かみの漂う作風には、どんな困難も乗り越えて独自の表現を求め続けてきたヒデキチさんの情熱と誠実さがにじみ出ているようだ。どんな歩みがあったのだろうか。
(『月刊なぜ生きる』令和3年4月号より一部抜粋)
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