【試し読み】人に気を遣いすぎてしまうあなたへ|古典を楽しむ『徒然草』
ー古典に親しむと、心が豊かになりますー
何百年も、日本人に読み継がれてきた古典には、何が書かれているのでしょうか。このコーナーでは、分かりやすい現代文に意訳して、古典の魅力をお届けしていきます。
『徒然草』第七十五段より
少しぐらい寂しくても、独りで静かに過ごすほうが、よっぽどいいですね。
世間に合わせようとすると、どうでもいいことに心が奪われて、迷いやすくなってしまうからです。
例えば、人とつきあう時は、「相手に逆らわないようにしよう」「話を合わせるようにしよう」と気を遣うので、本心を言うことができません。
だから、人と冗談を言って笑っているかと思ったら、けんかに発展することもあるのです。誰かの言動が気になって、人を恨うらみ、文句ばかり言いたくもなってくるでしょう。
反対に、人から褒められると、すぐに有頂天になって喜んでしまいます。
このように、周りからのちょっとした刺激で、浮かんだり沈んだりしますから、心が安らかになる時がないのです。
しかも、何を見ても「これは損か、得か」と、利害を計算する心がわき起こって、ひとときもやむことがありません。
このような人は、迷っているうえに、酔っています。酔いながら、さらに夢を見ているのです。体は忙がしそうに走っていながら、心はぼーっとして、大切なことを忘れています。
実は、これが、すべての人の姿だといっていいでしょう。
しかし、これではいけないのです。
たとえまだ、誠の道である仏教を知らなくても、せめて、心を惑わす縁から遠ざかる努力をしましょう。そして、心静かに、「何のために生きるのか」と、自己を見つめる時間を持ってこそ、人間らしい心の安らぎ、充実感を得ることができるようになるのです。
(『月刊なぜ生きる』令和3年2月号より)
本誌では、つぎの2本も掲載しています。
◆「私は酔ってなどおりません」
これほど危ない言葉はありませんね(第八七段)
◆不器用でも、鈍感でも、成功を収める方法があります(第一八七段)