「心の風景」が幸せになる看護を求めて
日本初の「開業ナース」として在宅看護の道を切り拓いてきた村松 静子さん

在宅看護研究センターLLP代表、看護師、臨床心理士
(フローレンス・ナイチンゲール記章受章)
村松 静子(むらまつ せいこ)さん

「在宅看護」という言葉がまだ広まっていなかった40年ほど前の日本で、初めて「開業ナース」として在宅看護に乗り出した人がいる。在宅看護研究センター(東京・新宿区)の代表、村松静子さん。住み慣れた自宅での医療を望む人たちの声に耳を傾け、看護師としてこれまで数千人に上る患者さんの〈生と死〉と向き合ってきた。希望を失いかけた病床で、人は何を思い、どんな看護を望むのだろうか。患者と家族の「心の風景」を見つめる看護を探求してきた村松さんに聞いた。

嵐の中の船出
苦悩の人たちと向き合う

村松さんにお会いしたのは、東京の山手線・高田馬場駅から歩いて数分の所にあるワンルームマンションの一室。昭和61年(1986)春、村松さんが在宅看護を開業した歴史的な場所である。「25平米の小さな部屋にミカン箱一つ。看護師の有志二人と一緒にスタートしたのです」と村松さんは穏やかな笑顔で語ってくれた。

今でこそ、老人訪問看護制度や介護保険制度の導入などで「訪問看護ステーション」は全国一万カ所以上にできたが、当時は、看護師が病院を離れて独立開業する例はなかった。役所や医療関係者からは「聖職である看護を売り物にするとは」「看護師が病院から出たら、ただの家政婦」といった非難が押し寄せた。

しかし、医療の進歩で助かる命が増えたことで、体にチューブをつけられたまま病院で最期を迎える光景も増えていた。「わが家に帰りたいという患者さんの願いを、私たちは無視していていいのだろうか」。村松さんはあえて嵐の中の航海に乗り出していく。

「村松さん、助けて!」
運命を変えた一本の電話

きっかけは、昭和58年、村松さんの自宅にかかった一本の電話だった。「村松さんですか。助けてください」──。電話の声はその2年前、村松さんが日本赤十字社医療センターのICU(集中治療室)の看護師長だった時に運び込まれた50代の女性患者の夫だった。女性の意識は戻らず、胃や気管からチューブが外せないまま、転院を勧められたが、「苦労ばかりかけた妻を何とか自宅で看てやりたい。どうか力を貸してください」と夫は訴える。

「医療設備のない自宅で看護ができるとは誰も思ってもいない時代でした。でもなぜか、見捨てることはできなかったのですね」

村松さんは当時、35歳。二人の子どもの育児と、日本赤十字看護大学の設立にも携わり多忙を極めたが、日赤に籍を置いたまま有志の看護師とともに、女性の在宅看護を引き受けた。

問い合わせが殺到した
自宅での専門看護

だがボランティアでの活動には限界もあり、在宅看護を始めた3年後、ついに日赤を退職して独立開業することを決めた。「患者さんと契約を結び、主治医と連絡を取りながら、プロの看護を提供する仕組みです。親交のあった作家の遠藤周作さんが応援してくださったことは心強かったですね」

開業を知らせるために企画した「心温かな医療と看護を語り合う集い」を新聞各紙が伝えると、小さな事務所に問い合わせの電話が次々に鳴り響いた。20人の定員に希望者は約150人。「皆さん、待っていたのです。たくさんの方が、自宅で受けられる看護を求めておられたことを肌で感じましたね」

そんな未知の荒野に踏み出す村松さんの脳裏に、ある一つの情景がよみがえってきた。学生時代の看護実習で受け持った、ある乳がんの患者さんの病室である。

「今だけ私の娘になって……」
患者さんの言葉が原点に

その患者は村松さんが日赤の短大一年生の時に担当した42歳の女性。髪を丁寧にシャンプーするととても喜んでくれた。その2年後の実習で村松さんは、再入院していたその女性の病室に、重症を示す赤いマークがついているのを見つけた。

看護師長に聞くと、「脳に転移しているから、あなたのことはきっと分からないと思うわよ」と言われたが、ノックして病室のドアを開けるとすぐに「あ、高橋さん(村松さんの旧姓)でしょ」と言われたので驚いた。

「背中をさすっていると、お昼ご飯が運ばれてきて、その方が言われるのです。『今だけでいいから、私の娘になってちょうだい』って。おかゆの食事の介助を終えると、『あなたに会えるの、これが最後だと思うの……。今日は本当によかった。ありがとう』とおっしゃるのです」

数日後、寮で休んでいた村松さんが、ふと彼女の気配を感じて病室に駆けつけると、15分前に息を引き取り、霊安室に移されたという。そこには、十代の息子が一人、泣きながら立っていた。

「親一人子一人。彼女はどんな思いで亡くなったのか。息子さんはどんなにつらいだろう。どうしたらいいか分からず、当時の私は、そばに行って手を合わせることしかできなかったのです。あの時の光景は、ずっと私の看護の原点として残っています」

苦悩の人の傍らにあって、何ができるのか。看護とは何か、人が生きるとは──?

そうした問いの答えを、村松さんは在宅看護の場に求めていく。そこにはどんなドラマがあったのだろうか。

(『月刊なぜ生きる』令和5年6月号より)

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