感謝の心が「夢」をかなえる
交通事故で夢を失ったJリーガーが「車いすバスケ」でメダル獲得、そしてパリへ

車いすバスケットボール男子日本代表ヘッドコーチ
京谷 和幸(きょうや かずゆき)さん

将来を期待されたJリーガーがある日、交通事故で下半身の自由を奪われた。絶望の底で彼はやがて、車いすバスケットボールと出会い、日本代表選手に。さらに指揮官として日本チームを率いた東京パラリンピック(2021年)では念願の銀メダルを獲得。今また、来年のパリ大会での頂点を目指す。京谷和幸さん、51歳。若き日に夢を失ったどん底から、彼はどのようにしてはい上がっていったのだろうか。

強豪国を破り
史上初のメダル獲得

オーストラリア、イギリスなど強豪国を次々に破り、迎えた相手は、前回王者のアメリカだった。2021年9月5日、東京パラリンピック・車いすバスケットボール男子の決勝。緊迫したシーソーゲームはついに、4点差で敗れたものの、これまで7位が最高だった日本代表にとって、手にした「銀メダル」は歴史的快挙だった。

ヘッドコーチとして陣頭に立った京谷さんは「選手たちは一戦ごとに成長して、ボクが伝えたいと思ったことを、先に話し合っているようなチームになりました。世界と戦うマインドで一つになったのです」と振り返る。この日本チームの成長の足跡はまた、京谷さん自身の人生とも重なっている。

もし、あの事故が起きていなければ、この光景を目にすることもなかったのだから。思えば、あれから28年の歳月が流れていた。

先が見えない
恐怖で泣いた夜

意識が戻った時は、病院のベッドの上だった。1993年11月28日。早朝、友人の家から車を運転して帰る途中、脇道から出てきた車を避けようとして電柱に激突、車は大破した。高校時代、サッカー五輪代表候補にもなった京谷さんは当時、プロサッカーJリーグ、ジェフユナイテッド市原に入団して2年め。妻となる陽子さんとの結婚式を控え、その衣装合わせをする約束の日でもあった。

みぞおちから下の感覚がなかった。回復の兆しがない中で、耳にしたのが主治医からの宣告だった。「これからは車いすの生活になります」──。ぼうぜんとして涙も出てこない。消灯時間になると、暗闇の中で戸惑いは恐怖に変わった。

「サッカーができないなら、死んだほうがまし、とも思ったのですが、死を考えるとまたさらに怖くなって……」。

先が見えず、体がブルブル震えて止まらない。涙があふれ、枕に顔を押し当て声を殺して泣き続けた。気がつくと病室に朝の光がさし込んでいた。

「あの事故まで、自分は一人で何でもできると思っていたのです。ところがあの時は、トイレに行きたくても、自分で車いすに乗ることさえできないのです。頭をハンマーで殴られたような感覚でした」

(『月刊なぜ生きる』令和5年8月号より)

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『月刊なぜ生きる』令和5年8月号
価格 600円(税込)