命の意味と向き合った宇宙飛行
お金では測れない価値を求めて
日本人初の宇宙飛行士となった元TBS記者
農民、ジャーナリスト
秋山 豊寛(あきやま とよひろ)さん
元TBS記者の秋山豊寛さんが日本人初の宇宙飛行に挑戦してから30年余り。宇宙船の窓から見た、闇の中に輝く青い地球はまさに「命のかたまり」だったと言う。そんな地球への関心から、秋山さんは5年後にテレビ局を53歳で退職、福島県の自然の中で有機農業を営む暮らしを始めた。宇宙体験は一人のジャーナリストの人生観に何をもたらしたのか。その後、発生した原発事故により今は三重県の山間地で暮らす秋山さんを訪ねた。
三重県松阪市から紀伊半島の内陸部に向かい熊野街道を車で走って一時間ほど。広がる青田の向こうに秋山さんの一軒家が見えてきた。家の裏手には清流、宮川が流れ、山々を吹き渡る緑の風に乗ってウグイスの鳴く声が聞こえてくる。
100坪ほどの畑には、夏の日を浴びた野菜がのびのびと育っていた。「ナスやピーマン、ヘチマやゴーヤ、だいたい20種類くらいかな。サルやイノシシが荒らしに来るから、ネットを張ったり有刺鉄線を巡らしたり、いろいろと知恵比べだね」と秋山さんは楽しそうに笑った。
見かけは、近所の農家のおじさんたちと変わらない。ただ明らかに違うのは、宇宙に行ったことがある──ということである。
暗闇の中で輝く地球
「命のかたまり」だ!
「これ、本番ですか?」──が、宇宙からオンエアされた秋山さんの第一声だった。日本人初の宇宙飛行士として、秋山さんは最初のセリフを考えていたが、アナウンサーからの予定より早い問いかけに、思わずこう答えてしまった。「でも、テレビの生中継らしいハプニング」と、今では気に入っている。
秋山さんと2人のロシア人宇宙飛行士を乗せた旧ソ連のソユーズTM11号が、カザフ共和国(現カザフスタン)のバイコヌール基地から打ち上げられたのは1990年12月2日。TBS創立40周年記念事業の一環で、社内からの応募者約500人の中から、外信部デスクだった秋山さんが選ばれた。宇宙船は地球を回る周回軌道を経て、2日後に宇宙ステーション・ミールにドッキングした。
地上400キロメートルの宇宙から見た地球はどんな姿だったのか──。
「やっぱり、実感したのは地球の美しさでした」。直径約1万2,800キロの地球はシャボン玉の膜のような薄い大気に包まれ、その鮮やかな青は、コバルトブルーから濃度を増して紺になり、濃紺になり、そして漆黒の宇宙の闇へと溶けていく。いくら見ていても飽きない「青の交響曲」だった。
「宇宙の闇の中で、なんで地球があんなに輝いているのかな?と考えた時、『命のかたまり』という言葉が浮かんできました」
そして「無数の命を育むこんな素晴らしい地球について、俺は何を知っているのか?という思いも浮かびました。リポートしろと言われても、この時の自分にはできないなっていうのが実感でした。ただ、この星の環境が病んでいることについては知っていました。自分が何らかのアクションを起こさなくてはという思いが、その後の大きなテーマになりました」
(『月刊なぜ生きる』令和5年9月号より)
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『月刊なぜ生きる』令和5年9月号
価格 600円(税込)