【試し読み】巻頭インタビュー(令和2年8月号)

アンパンマン生みの親
「やなせたかし」を語る
アンパンマンが問う「何のために生きるのか」


マンガ評論家・京都精華大学マンガ学部客員教授
中野晴行さん

「そうだ うれしいんだ 生きるよろこび」
──で始まる「アンパンマンのマーチ」は子供だけでなく大人にもファンは少なくない。

東日本大震災の被災地では放送局へのリクエストが相次ぎ、「子供に笑顔が戻った」など多くの感謝の言葉も届いた。

その生みの親、やなせたかしさんが逝って7年──。

この歌には、なぜ人々を元気にする力があるのだろうか。

背景には「やなせさんの悲しい戦争体験がある」とマンガ評論家の中野晴行さんは語る。

新型コロナウイルスで不安の広がる昨今、この歌に込められた応援メッセージについて中野さんにひもといてもらった。

「マンガなんか
   描いている場合じゃない」
       東日本大震災を見て

戦後のマンガ史に精通する中野さんはフリーライター、編集者として活動するかたわら、京都精華大学のマンガ学部でマンガ業界論などを教えている。

『伝記を読もう やなせたかし 愛と勇気を子どもたちに』の著者でもある中野さんが、やなせさんと会ったのは20年以上前、取材で仕事場を訪れた時だった。

「とてもやさしい気さくな方で、うちの甥っ子がアンパンマンのファンですと言ったら、『じゃあ、色紙を描かなきゃいけないね』って、すぐに描いてくださいました」

親交を深め、最後に話を聞いたのは平成25年。

やなせさんが94歳で亡くなる4カ月ほど前だった。

中野さんは「戦争体験のある人が少なくなる中で、今の子供たちに戦争の悲劇を伝えるには、やなせさんにぜひ語ってもらいたかった」と振り返る。

当時、やなせさんは「本当なら、もうマンガはやめていた」と話していたという。

「視力も落ち、2年前に起きた東日本大震災(平成23年)を見て、『日本がこんなひどいことになっているのに、マンガなんて描いている場合じゃない』と、現役引退を考えたというのです」

ところがやなせさんの晩年は、アンパンマンによって思わぬ展開を見せた。

アンパンマンの歌に感謝の声
   「引退はやめだ」

「テレビ局の人が『先生、大変なことになっています。被災地で〝アンパンマンのマーチ〟がみんなを支えています』と言ってきたのです」

東日本大震災の後、被災地のラジオ局には「子供がショックを受けているので、大きなアンパンマンの歌を聞かせてください」といった手紙が寄せられた。

「こんな時に、アニメの歌なんか流してもいいのか」という意見もあったが、「アンパンマンのマーチ」が電波に乗ると、空気が一変した。

各地の避難所からリクエストが次々に寄せられ、「初めて聴いたけど、励まされた」「子供たちに笑顔が戻った」などの声が相次いだ。

チャリティーイベントでも歌われ、東北を励ます応援ソングへと育っていく。

感謝の手紙は、やなせさんにも届き、やなせさんは涙を流していたという。

「こうなると、やなせさん自身ががぜん元気になりました。『あの歌の中で、僕が言いたかったことを、みんなはちゃんと分かってくれていたんだ。引退はやめだ。アンパンマンと一緒にみんなを助けるんだ』と、東北の復興に力を貸すことを決めたのです」

津波被害にも生き残った「奇跡の一本松」(岩手県)をテーマにした「陸前高田の松の木」という歌のCDを作り、「ヒョロ松と海坊主」など4つの童話も創作。

翌年には『それいけ! アンパンマン よみがえれバナナじま』という絵本も出版。

その劇場版アニメ映画はシリーズ一番の観客動員を記録した。

被災地に響く「アンパンマンのマーチ」(作曲 三木たかし)を作詞したやなせさんは、この歌にどんな思いを込めていたのだろうか。

「子供だから分かってくれる」
   なぜ生きるのか

テレビアニメ「それいけ!アンパンマン」が始まったのは昭和63年秋。

そのテーマソングが「アンパンマンのマーチ」だった。

「そうだ うれしいんだ 生きるよろこび たとえ胸の傷がいたんでも」

「なんのために生まれて なにをして生きるのか こたえられないなんて そんなのはいやだ」

テレビ局は当初、「子供たちには歌詞が難しい」と難色を示したが、やなせさんは「子供だから分かるんだよ。子供をバカにしてはいけない」と押し通したという。

実際、放送が始まると、番組は高視聴率を得て、テーマソングは子供たちに親しまれていく。

中野さんは「平易で美しい言葉を使って、『なぜ生きるのか』ということを明るく問いかけてくる素晴らしい歌だと思います。ただ、この印象深い歌詞が生まれる背景には、やなせさんが、戦争で2歳下の弟、千尋さんを失うというつらい体験があったのです」と言う。

「そんなバカな話はない」
     戦争に奪われた弟の命

快活で子供の頃から人気者だったという千尋さんは、京都帝国大学を出た後、招集されて海軍に入った。

中野さんが『ぼくは戦争は大きらい』という本の取材をした際、やなせさんは当時のことを次のように語ったという。

やなせさんも応召して福岡県・小倉にある陸軍の連隊にいた時のこと。

「ある日、

(・・・本誌につづく)

この後、アンパンマンマーチに込められた深い歌詞の背景が本誌に掲載されています。

  • 今の子供たちへのメッセージ アンパンマンの歌に
  • 何のために生まれたのか答えられないのはいやだ
  • 戦争はとにかく腹が減る 考えもおかしくなる
  • 分け与えることで飢えはなくせる
  • 「なぜ生きる」から「頑張ろう」がわいてくる
  • 自分とは何か?先延ばしにできない問題

この記事は、『月刊なぜ生きる』令和2年8月号に掲載されています。

全文がお読みになりたい方は、本誌でごらんください。