【試し読み】物忘れや言い間違いが多くなった高齢の父に、どう接すればいいのでしょうか
82歳になった父は、曜日や人の名前を間違えて言うことがあります。初めのうちは、間違いを正していたのですが、そうすると、情けないような顔をするので、申し訳なく思い、大きな問題がなければ、笑って相槌を打つようにしていますが、これでいいのでしょうか?
年相応のことなのか、認知症の症状なのか、判断できないので、病院に行こうと勧めるのですが、本人は「行きたくない」と言います。
認知症であったとしても、その人を人間として尊重し、その気持ちに共感し、受け入れることが大切です
ご質問の方のお父さんについてですが、文面だけでは病的なものかどうか判断はできませんが、いずれにせよ、加齢による記憶障害が出てきておられる状態なのだと思います。
このような物忘れに対して、その間違いをいちいち指摘することは正しいか、正しくないか。これについては、介護の現場でははっきり結論が出ています。
「記憶の間違いをいちいち指摘することはよくない」です。
なぜなら、このような物忘れによって、家族ももちろん困りますが、いちばん困っているのはお父さんご自身だからです。だからこそ、「情けないような顔」をされるのだと思います。
自分の記憶が、不確かなものになり、家族に迷惑をかけている。自分に自信をなくし、「これからどうなるんだろう」と不安になっている。そういう時に、周囲から何度も間違いを指摘されると、さらに自信をなくして意欲を失ったり、「バカにして!」と腹を立てたりすることになります。間違いを指摘しても、状態が改善するどころか、余計逆効果になるのです。
ちなみにこれは子どもでも同じです。ふだんよく勉強ができる子に、たまに間違いを指摘するくらいなら、それで奮起することもあるでしょう。しかし勉強が苦手な子に、間違いを指摘してばかりいると、次第に自分に自信をなくし、余計やる気を失ったり、やけになったり、「自分ばっかり怒られる!」と腹を立てて、下の子をいじめたりするようになります。決して事態は改善しないし、さらに悪化することになりかねません。
なぜかというと、間違いを繰り返し注意されることで、自分の存在自体を否定されている、と思ってしまうからです。そしてそれが、子どもにとっても、お年寄りにとっても、精神的にいちばんよくないことだからです。
逆に、自分の存在には価値がある、必要とされている、自分は一人の人間として尊重されている、と思える時、人はたとえ記憶障害があっても、体に不都合があったとしても、幸せに生きることができるのです。
(『月刊なぜ生きる』令和3年7月号より一部抜粋)
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