【試し読み】信長、秀吉と『歎異抄』3|歎異抄の旅

秀吉の最大の功績は、「『歎異抄』の教えは、本当だった!」と後世に伝えたこと──、と言ったら、言い過ぎでしょうか……。

なぜなら、豊臣(羽柴)秀吉は、『歎異抄』の有名な一節、「万のこと皆もって、そらごと・たわごと・真実あることなし」を身をもって体験した男だからです。

そして、まるで『歎異抄』の言葉を解釈するように、「露と落ち 露と消えにし 我が身かな  なにわのことも 夢のまた夢」と、辞世の句を詠んだのでした。

この句には、どんな意味があるのでしょうか。

秀吉、辞世の句

日本の歴史の中で、最も出世した男、といえば、まず、秀吉が挙げられます。

私たちが、「これさえあれば幸福になれる」と願うものの多くを手に入れていました。

マイホームといっても、巨大な大坂城をはじめ、いくつも城を持っています。

黄金の茶室を造ったくらいですから、莫大な財産がありました。

しかし、人生の成功者と思える秀吉は、次のような辞世の句を詠んでいます。

「露と落ち 露と消えにし 我が身かな  なにわのことも 夢のまた夢」


秀吉は、62年の生涯を「朝露」に例えています。

「夜明け頃に、草花の上でキラリと輝く露も、太陽が昇ると跡形もなく消えてしまう。俺の一生も、あっという間に過ぎ去ってしまった。何かをやり遂げたという満足感は、何も残っていない」とつぶやいているのです。

なにわとは、大坂のことです。

「大坂城を築き、天下に号令したことも、今から思えば、まるで、夢の中で夢を見ていたような、儚いものだったな」と実感を込めて言い残しています。


これは、『歎異抄』の言葉、

「万のこと皆もって、そらごと・たわごと・真実あることなし」 (『歎異抄』後序)

意訳:この世のことは、すべて、そらごとであり、たわごとであり、まことは一つもない。

を、自分の一生に置き換えて、分かりやすく解釈したもののように思います。

秀吉は、浄土真宗が盛んな尾張(現在の愛知県西部)の出身です。『歎異抄』の言葉を、どこかで耳にしていたのではないでしょうか。

また、秀吉は、独裁者・信長に比べると、人間関係を大切にし、専門家の意見をよく聞く人でした。石山合戦で、本願寺門徒の強さに驚いた秀吉が、その秘密を探ろうとして、親鸞聖人の教えに詳しい人から『歎異抄』の内容を聞いたことも、十分、考えられます。

秀吉は、全力で努力したからこそ、誰もがうらやむほどの、地位、名誉、金、財産を手に入れることができたのです。

しかし、それらは、いざ死に直面すると、光を失っていくものばかりでした。真っ暗な心には、何の明かりにもならなかったのです。

金や財産は、生きるためには必要なものですが、生きる目的ではなかったことに、秀吉は、人生の終幕になって気がつきました。とても重要なものが抜けていたのです。

それは何なのか。

元気な時から考えてこそ、悔いのない、明るい人生を送れるようになるのです。 実は、この大切なテーマ一つを明らかにした古典が『歎異抄』なのです。秀吉も、もっと早く気がついていれば、『歎異抄』を学んだに違いありません。

(『月刊なぜ生きる』令和3年7月号より一部抜粋)

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