野球部監督として“工大愛”を貫いた23年
「時間の活かし方は、自分次第」
社会人として、自立できる選手を育てる

東北工業大学 硬式野球部
総監督
小幡早苗(おばた さなえ)さん

聞き手/山崎 豊(本誌編集長) 

昨年5月18日の河北新報に三段抜きの大見出しで、

「工大小幡監督退任へ
  後任は目黒副部長 春季リーグ最後」

と小幡早苗さんの功績をたたえる記事が掲載されました。

小幡さんが東北工業大学の硬式野球部監督に就任したのは平成10年。以来、23年間も指揮を執り、多くの選手を育ててきました。退任後も、総監督として引き続きチームに携わっています。

監督としての小幡さんの方針は、「社会人として自立できる選手を育てる」ことにあったといいます。野球と人生の関係は? 社会人としての基礎力とは? 大切なポイントを、小幡総監督にお聞きしました。

雪が降り始めた昨年12月20日、東京から宮城県の東北工業大学へ向かいました。

新幹線で福島を通過する時は、窓の外が真っ白だったのに、仙台駅で降りると雪がないのが意外な感じがしました。

大学歌に、

「みちのくの蔵王の山を見はるかす この高原よ八木山に 樹てる学舎来たれ 若人」

と詠われているように、東北工大の八木山キャンパスは標高百メートルほどの丘陵地にあります。仙台駅から車で15分ほどの距離です。

東北工大のキャンパスで、小幡早苗総監督と、後任の目黒裕二新監督のお二人にインタビューしました。

小幡早苗総監督(左)と、目黒裕二新監督(右)

「大きな目標を持て。
努力は無限」

山崎 小幡さんは、いつから野球を始められたのですか。

小幡総監督 東北工大に入学してからです。やるんだったら徹底的にやろうと思い、トレーニングを始めました。何事も最大限努力することが基本だと思っています。それは仕事においても同じです。常に、今よりも上を目指してやってきました。しっかりした目標を持って、トライしてきました。

山崎 小幡さんは、野球部員に「大きな目標を持て。努力は無限」と、常に教えられていると聞きました。まさに、その精神を、自ら実践されてきたのですね。

小幡総監督 天才は一握りしかいません。才能の、ある、なしにかかわらず、努力していけば、それに応じた結果が表れるのです。私は、野球部員に「みんな、同じ年齢だよね。なんでこんなに差が出るの。どこかの過程で努力が足りなかったんじゃないの」と言うことが、よくあります。

山崎 すべての結果には原因がある、自分の行いを反省しなさいということですね。

目黒監督 小幡さんは、大学に入ってから野球を始めたのに、投手として活躍していました。そんなこと、普通なら、ありえないことですよ。高校まで野球をやっていた人のほうが、上手に決まっています。それなのに投手として試合に出ていたということは、他の人の3倍、4倍の努力をしたはずです。小幡さんは、学生時代も、社会人になってからも、常に大きな目標を持って、無限に努力する生き方をしてきた人です。その精神は、本学の野球部員にも、しっかりと伝わっていると思います。

山崎 小幡さんは、情報通信会社を経営されています。とても忙しい中にありながら、野球部の監督を引き受けられたとお聞きしました。

小幡総監督 会社の仕事を絶対におろそかにしないということを、社員にも家族にもよく話をしたうえで引き受けました。

山崎 それが23年間も続いたのですね。そこまで打ち込んで学生を指導されたのは、なぜでしょうか。

小幡総監督 愛ですね。母校を思う“工大愛”は、誰よりも強いと思っています。後輩たちを、一社会人として自立できるように育てたいのです。

(『月刊なぜ生きる』令和5年2月号より)

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