美容、ファッションは、生きるために必要!
高齢、病気、介護…… ネガティブな心を、ポジティブに変える力あり
「人生は一度きり! 後悔しない生き方をしたい」
こう決意して、美容の世界へ進んだ柳延人(やなぎ のぶと)さんは、大女優やロックバンドなど、多くの芸能人のヘアメイクを手がけながら、新たな技術も開発してきました。40年近く、美容家、ヘアメイクアップアーティストとして活動する中から得た結論は、「美容は生きるために必要!」
現在、BLEA(ブレア)学園学院長として、「技術に勝る、大切なものを伝えたい」と、若者の教育に力を入れておられます。
「生きる」ことと、美容、ファッションは、どのような関係があるのでしょうか。
山崎 柳学院長が美容の世界へ進もうと思われたきっかけは、何だったのですか。
柳 「猿の惑星」の映画です。私が中学生の時に、姉が映画館へ連れていってくれました。最近の映画はCG(コンピューター・グラフィックス)で特殊効果を出しますが、当時は、「猿」の顔もすべて手作りだったのです。驚きました。そのような特殊メイクに、ものすごい魅力を感じました。将来は、その道に進みたいと思いながらも、私は大学へ進学してラクビーをやっていました。しかし、特殊メイクへの思いを捨て切れず、大学を中退して美容学校に入ったのです。
当時、特殊メイクを目指す人は、あまりいませんでした。今のように、情報もありません。何を学習すればその仕事に就けるのか、全く分からず、手探り状態でした。
そこで、映画産業の中心地であるアメリカのハリウッドへ行くことを決断したのです。現地の空気の中で学んだほうが、技術やセンスを磨くことができると思ったからです。
その準備のために、美容学校を卒業後、3年間は美容室で働き、アルバイトもしながら資金をためました。
山崎 中学生の時に抱いた夢をかなえるために、道なき道を切り開かれたのですね。
柳 はい。一年間、アメリカで学びました。映画の特殊メイクにも携わることができました。しかし、経済的に厳しくなったので、一度、日本へ帰ることにしたのです。23歳の時でした。
あの頃は、アメリカで修業してきた美容師は少なかったので、とても注目されました。その経歴をプロフィールに記すだけで映画会社やテレビ局など、いろんなところから仕事を頂くようになったのです。
技術に関しては、海外のほうが日本よりも格段に高いとはいえないことも分かってきました。日本にいたほうが、繊細な技術を学べる面もありますので、その後は、国内で活動を続けることにしたのです。
前を向くことだけを
考えていきたい
山崎 日本では、特殊メイクの技術を、どのように活かされたのですか。
柳 実は、日本の音楽史の上に活かすチャンスを頂くことができました。
今では、ビジュアル系ロックバンドが、男性でもメイクをし、髪を逆立てて歌うのが当たり前になっています。
X JAPAN(エックスジャパン)のように、髪の毛をボーンと立てて、一時間も二時間もコンサートをしています。実は、あの技術は、私が最初に開発したのです。
私は、もともと日本髪やアップスタイルの髪型が得意でした。そのテクニックと、アメリカで勉強した派手な特殊メイクを融合させたのです。
新しい美容の、ヘアメイクの世界を作り出すことができたのです。
山崎 人生において、新しい世界に飛び込む時には不安が多いと思います。どんな気持ちで臨まれたのですか。
柳 父はサラリーマンでした。病気で早くに亡くなったのですが、生前に、「本当は、独立して会社を持ちたかった。しかし、勇気がなかった」と、よくこぼしていました。
私は、人生、一度きりなので、後悔する生き方はしたくないと思いました。過ぎた日は戻らないので、前を向くことだけを考えていきたいと思っています。
山崎 失敗や挫折はなかったのですか。
柳 失敗は、笑っちゃうほどたくさんありました。でも、「あきらめなければ、なんとかなる」という精神で乗り越えてきました。失敗しても、「必ず解決できる」と思えるだけの努力を常に心掛けてきました。
失敗の原因は、すべて自分にあります。その原因を突き止めて、改めていけば、以前よりも、もっと前進できるのです。
(『月刊なぜ生きる』令和4年6月号より)
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『月刊なぜ生きる』令和4年6月号
価格 600円(税込)