祖母の言葉「人生、うれしさありがたさだよ」
「負けない精神」で今日の一日を、明るく
女優
荒木 由美子さん
毎日新聞の一ページ全面を使った記事の見出し、
「負けない精神」胸に
介護の20年 役立てたい
に、思わず引き込まれました(令和2年5月10日)。そこには、20年に及ぶ義母の介護を乗り越え、明るく生きる女優・荒木由美子さんの姿が報じられていたのです。
しかも、中国の実業家、ジャック・マー(馬雲)氏が、尊敬する日本人の中に松下幸之助とともに荒木さんを挙げ、「ビジネスで成功したら、自分のお金であなたを中国に呼んで恩返ししたい、と心に決めていました。負けない精神を教えてくれたのはあなたです。どれほど助けられたか分かりません」と語っているのです。
「負けない精神」とは、何を表しているのでしょうか。
新聞の記事を読んだ時、ぜひ、荒木由美子さんに、インタビューしたいと思いました。
それから二年半たって、ようやく念願がかない、東京・神田駿河台の、山の上ホテルでお会いできたのです。
荒木さんは、とても明るく、気さくに、
「60歳を過ぎるまで、いろいろあったことを、何でも書いてくださっていいですよ」と話しかけてくださいます。
私の年齢を言うと、「まあ、私たち、同級生ですね」と、親しみあふれる言葉が返ってきました。部屋全体が明るくなり、撮影、録音などのスタッフからも笑い声があふれてきます。
『燃えろアタック』
主演のドラマ、中国でも大反響
荒木由美子さんは、16歳で芸能界に入り、アイドル歌手として活躍します。同時に、司会やドラマなど数々のレギュラー番組を持ち一世を風靡しましたが、結婚を機に23歳で引退しました。
ところが、間もなく同居の義母が認知症を発症し、20年間に及ぶ介護が始まったのです。
山崎 中国のジャック・マーさんとは、いつお会いになったのですか。
荒木 義母が亡くなった頃です。ジャック・マーさんは学生時代に、私が主役を演じたドラマ『燃えろアタック』を、中国で見てくださったそうです。
◆ ◆ ◆
『燃えろアタック』は、少女たちがバレーボールに情熱を傾けるドラマです。
荒木由美子さんが演じる小鹿ジュンは、逆境を克服しながら、名アタッカーに育っていき、ついにオリンピック日本代表選手の座をかちとります。
小鹿ジュンの必殺技はジャンプして空中で一回転し、相手のコートへボールをたたきつける「ヒグマ落とし」でした。迫力あるシーンの撮影現場では、転んであごが外れたり、突き指やねんざをしたりすることも珍しくなかったといいます。
どんなに苦しいことがあっても「負けない精神」で明るく乗り越える小鹿ジュンの姿は、そのまま荒木由美子さんの生き方だったのです。
『燃えろアタック』は、1980年代に中国でも放送され、大ヒットしました。視聴率が50パーセントとも、80パーセント以上だったともいわれていますので、いかに多くの人々に感動を与えたかが分かります。
中国でのタイトルは『排球女将』、主人公の名前は小鹿純子になっています。
◆ ◆ ◆
荒木 ジャック・マーさんは大学受験に二度失敗して、とても苦しい時に、このドラマを見て小鹿純子の「負けない精神」に励まされたそうです。そして、家族の反対を押し切って三度めの受験に挑戦し、見事、合格されました。
山崎 ジャック・マーさんは、その後も負けない精神で事業を起こして成功し、ドラマを見てから約20年もあとに、荒木さんを探しに来日されたのですね。
荒木 私も、本当に驚きました。
山崎 ジャック・マーさんは、当時の中国の若者の多くが彼女の姿を見て、不安や苦しさからはい上がることができたと語っていますね。
荒木 そのように、いつも皆さんに褒めていただくのですが、私じゃなくて、ドラマの中の小鹿純子がすごいのです。
でも、中国の皆さんが「あなたのおかげで、負けない精神を学びました」と言ってくださるのは、とてもありがたいですね。今度は私が皆さんから学んで、どんなことがあっても負けてはいけないと思っています。
私が、義母の介護をしている時も、そのように自分に言い聞かせていました。
義母は、「私は生きていても何の力にもなれないから、もう死にたい……」とよく言っていました。
私は、「そんなことを言ったらだめよ」と励ましていました。介護をしている時、「生きる」ということを、ものすごく学びました。
私にとっては、ドラマで演じた小鹿純子が、今でも力になっていますね。
笑って生きる!!
とてもラッキーなこと
山崎 荒木さんが『燃えろアタック』に出演されたのは、何歳の時ですか。
荒木 高校3年生ですから、18歳ですね。
山崎 40年たっても、多くの人の心に残っているのは、演技だけでなく、やはり荒木さん自身の姿が、そのまま表れていたからではないでしょうか。荒木さんにとって、生きる原点は何ですか。
荒木 幼い頃、よく父の実家に遊びに行っていました。帰る時に、祖母はいつも私の手を取り、ちり紙に包んだお小遣いをくれました。その時、「由美子。人生、うれしさありがたさだよ」と必ず言うのです。すごく心に残っています。
私は、今も毎日「うれしさありがたさだよ」と、心の中で言っています。忘れたことがないですね。これが私の人生の軸になっています。
山崎 「人生、うれしさありがたさだよ」という言葉を聞いて、有名な古典『徒然草』の一節を思い出しました。
著者の兼好法師は、次のように書いています。
(意訳)「死は、ある日、突然やってきます。私たちが今日まで、死から逃れて生きてこられたのは、とてもありがたいことで、類いまれな奇跡といってもいいのです」(第一三七段)
「今、生きている。この喜びを、日々、楽しもう」(第九三段)
おばあさんも、兼好法師のように、「人間に生まれてきたことは、とてもありがたいことなのだよ。今日まで元気に生きてこられたのは、決して当たり前ではないのだから、感謝の心を忘れてはいけませんよ」と教えられたのではないでしょうか。
荒木 はい、そのとおりだと思います。
(『月刊なぜ生きる』令和5年3月号より)
続きは本誌をごらんください。
『月刊なぜ生きる』令和5年3月号
価格 600円(税込)