「心の金メダル」目指して今日も走る
五輪二大会連続のメダル獲得から27年
途上国支援や障がい者スポーツの普及活動などに活躍

元プロマラソン選手
認定NPO法人ハート・オブ・ゴールド代表理事
有森 裕子さん

1996年の米・アトランタ五輪女子マラソンで、二大会連続のメダル獲得を果たした元プロマラソン選手、有森裕子さん。レース後のインタビューで語った「初めて自分で自分をほめたいと思います」──の言葉は当時の流行語にもなった。そしてこのアトランタを機に、彼女はランナーの枠を超え、カンボジア支援などさまざまな社会貢献活動にも乗り出していく。あれから27年。アトランタのメダルにはどんな願いを込めていたのか。「メダルの価値は、その後の人生で決まる」と、今も走り続ける有森さんに聞いた。

封印していた言葉
「自分で自分をほめる」

「絶対に負けるわけにはいかない」。背後に迫るカトリン・ドーレ(ドイツ)の猛追を振り切って有森さんは3位でゴールを駆け抜けた。1996年7月、アトランタ五輪での銅メダルは、前回、バルセロナ五輪の銀メダルに続く快挙だった。二大会連続のメダル獲得は、日本女子陸上界ではその後も例がない。

レース後のインタビューで語った言葉は、その年の流行語大賞にも選ばれる。

「メダルの色は銅かもしれませんけど、終わってからなんでもっと頑張れなかったんだろうって思うレースはしたくなかったし、今回は自分でそう思ってないし……」。沈黙のあと、涙声で言い切ったのが、「初めて自分で自分をほめたいと思います」──だった。

思えば、この言葉は高校生の時に参加した全国都道府県対抗女子駅伝の開会式で挨拶に立ったフォークシンガー、高石ともやさんの話の中にあったという。「〈この大会に来た自分を、人にほめてもらうんじゃなくて、自分でほめなさい〉という趣旨のお話で、とても心に刺さったのですが、当時、補欠だった私には、そんな資格はないと自分の中で封印した言葉でした」

その封印が解けるまでに12年の歳月を要したことになる。しかしなぜ、それがアトランタだったのか。前回のバルセロナではなく──。

「2つのメダルは、私にとって全く違う意味合いを持っていたのです」と有森さんは振り返る。

実績のない選手が
涙でつかんだ晴れ舞台

「私は、学生時代から陸上競技のエリート選手ではありませんでした」と自ら言うように、彼女は中学、高校、大学と、五輪選手としては珍しく目立った成績を残していない。日体大からリクルートの陸上部を希望して、小出義雄監督(故人)を訪ねた時も「こんなに肩書も実績もないやつが俺の目の前に来たのは初めてだ」と言われた。

「でも逆に、『何もないのによくここまでやってきた。そこに興味がある。その根拠のない自信を形にしてみたい』と言われて何とか入れてもらえたのです」。しかし入部すると、「エリート選手ばかりの中で、私は全く相手にされません。目標にした国体の予選で1位になっても、スタッフが登録を忘れていて無効になったこともありました。そんな扱われ方だったのですが、悔し涙を力に変えて、『今に見ていろ』の一心で毎日毎日、走りました」

苦しくなってからの粘り強い走りが評価され、トラック種目からマラソンに転向すると記録が伸び始めた。1991年の大阪国際女子マラソンで2時間28分1秒の日本最高記録(当時)をマークして五輪代表に。本番のバルセロナでは、ワレンティナ・エゴロワ(ロシア)と激しいデッドヒートを演じた末、堂々の銀メダルでフィニッシュ。日本の女子陸上界に64年ぶりのメダルをもたらした。

消えた「銀」の喜び
メダリストの「孤独」

「小出監督にはよくても5位と言われていたので、『銀』でもうれしくて、その夜は興奮して眠れませんでした。喜びの波が次から次に押し寄せてきて、それまでの悔しさや悲しみや苦労が報われる思いでした」

ところが幸福な時間は長くは続かなかった。見えてきたのは輝かしいメダルとは不釣り合いな日常風景だった。小出監督から「よく頑張ったな。じゃあまた駅伝で頑張ろう」と言われた時は、「メダルを獲っても、やっぱり駅伝なんだ……」としか思えなかった。駅伝の練習では今より強くなれない。駅伝大会で優勝しても心は動かなかった。それどころか、独自のトレーニングを試みる彼女に「わがままな人」「天狗になっている」という陰口まで聞こえてくる。

「一つの目標を達成して、私は次に何を求めて走るのか、どこに向かって走ればいいのか、完全に分からなくなってしまったのです。死んだほうが……とも思うほど、バルセロナからの4年間は本当につらい日々でしたね」

五輪のメダルは
目的地にはならない

視界不良の中でも次第にはっきりしてきたのは、「メダルを獲ることは目的地にはならない」ということだった。「大事なのは、メダルを獲るまでの時間を、その『先』にある人生をよりよく生きるためのステップとすること」だった。

そのためには、どうしても次のアトランタ五輪でもう一度、メダルを獲らなければならない。当時、両足の痛みの原因だった「足底腱膜炎(そくていけんまくえん)」の手術に選手生命をかけて挑戦。無事に全快すると、「なりふり構わず再び練習に集中していきました」

そして手にしたアトランタの銅メダル。「それまでの自分自身のすべてを含めて、やっと自分で自分を認めることができた」の思いが「自分で自分をほめたい」の言葉を生んだ。ただ、有森さんにとってはここからが「新たな闘い」の始まりである。それはどんな道だったのだろうか。

(『月刊なぜ生きる』令和5年5月号より)

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