夢をあきらめないで生きる喜びを歌に
急性白血病から復帰して歌い続けるシンガーソングライター岡村 孝子さん
「夢をあきらめないで」などのヒット曲で親しまれる岡村孝子さんが突然、急性骨髄性白血病で入院したのは4年前。闘病生活の末、2年前に復帰コンサートを果たし、爽やかな歌声が戻ってきた。女性デュオ「あみん」のデビュー曲「待つわ」の大ヒットから41年。改めて「変わらない日常が続くことがどれだけ幸せなことか」と気づかされたという岡村さんは、これからの曲作りにどんな思いを込めていくのだろうか。今も体調管理に気をつける岡村さんからオンラインでお話を聞いた。
「もう戻れないかも」
涙で迎えたコンサート
「ただいま」「今日は、皆さんとお会いすることができて、とてもうれしいです」。ステージに現れた岡村さんの笑顔に、会場から大きな拍手が沸き起こった。令和3年9月、東京・渋谷で開かれた復帰コンサートは、ソロデビューから35周年の節目。急性白血病で休養に入ってから約2年半になるステージだった。
待ち焦がれたファンとの再会。涙を見せずに話ができたのは、本番直前のリハーサルですでに大泣きしていたからでもある。涙の理由を岡村さんはこう振り返る。
「入院中は、年を越したら自分はこの世にいないのかな、と思ったこともありました。でも、医療スタッフやリスナーの皆さん、家族の励ましや支えのおかげで、生きてまたステージに立てた。そんな喜びや感謝などいろんな思いが込み上げてきたのです」
復帰コンサートの最初の歌に選んだのは、人気曲の一つ「四つ葉のクローバー」。以前、「闘病中だった父を思って書いた曲」だが、今回、自らが入院生活を終えて帰宅する時、この曲の歌詞がふと心に浮かぶ場面があったという。
秋の風、鳥の声に
生きている喜び
5カ月間に及ぶ入院生活は、ずっとクリーンルーム(無菌室)の中で過ごした。抗がん剤などで免疫力が下がり、感染症を防ぐためだった。景色の見える窓はなく、いつも同じ温度の部屋で、春なのか夏なのかも分からなくなってしまった。
「9月に退院した時、風を感じて、あっ今、秋なんだってやっと気づきました。病院から家に着き、マンションの前にある10段ほどの階段を上ろうとしたのですが、筋力が落ちて半分も上ることができないんです。でもその時、すごくいろんな鳥たちの鳴いている声が聞こえてきて、『ああ、本当に生きているってこういうことなんだ』って感じたんですね」。そして、「四つ葉のクローバー」などの歌詞が頭に浮かんできた。
「この歌の中に〈小川のせせらぎ 鳥たちのさえずりも すべてが生きてる〉という詞があります。その時はすごく分かっているつもりで書いたのですが、闘病生活をした今から見ると、ああ、あの時はまだ、生きているっていう意味が本当には分かっていなかったんだな、って感じましたね」
自分の周りの世界の見え方が変わってしまうような闘病生活とは、どのようなものだったのだろうか。
ゴールの見えない闘病
どうして私が……
──病気に気づいたのは、どんなことからですか。
4年前の春、母と娘と金沢に旅行に出かけて、兼六園を歩いていた時に、急に足が上がらなくなりました。その時は「体力が落ちたのかな」くらいに考えていたのですが、大学病院で検査を受けると、白血球の数値が低く、再検査の結果、「急性骨髄性白血病です」と宣告されました。
大きな病気をした経験がなかったので、ショックでしたね。10万人に2人という病気に、なぜ私がなってしまったのか。頭の中が真っ白になりました。
──入院中は、どんなお気持ちでしたか。
入院したのは、その年の4月18日です。私は治りやすいタイプでも、治りにくいタイプでもなく、どれだけ時間がかかるか分かりません。ゴールが見えない中で頑張るのは大変だなと感じました。
結局、抗がん剤だけでは治らず、臍帯血移植もしたのですが、やっぱり移植はきついですね。他人の血液を体に入れるので、自分の白血球をゼロにするんです。
床に落ちている物を拾うだけでも、細菌に感染するかもしれないとか、シャワーを浴びている時にフラッとして頭をぶつけて内出血すると、血が止まらなくて死んでしまうとか、医師からは「気をつけてください」って言われるんですが、でも、どうやって気をつけたらいいのか難しくて(苦笑)。ふだんは何げなくしていた動作の一つ一つにも神経を遣う日々でしたね。
「絵日記」のような曲が
消えていく悲しみ
今はよく覚えていないのですが、当時の日記を読むと、吐きけや耳鳴りがきつくて、携帯電話の着信音やヘビメタのギターの音のような耳鳴りがずっと続いているんです。頭痛の波もジェットコースターのように襲ってきて。回診の先生方に、ベッドの上に正座して「先生、人間やめていいですか?」って聞いたこともありました。
治療の後半戦は、ペットボトルのふたも開けられないほど筋肉が落ちて結構よれよれでしたね(笑)。背中や腰の骨の間の隙間が6カ所もつぶれて折れていたことが退院後に分かりました。治療に使ったステロイド剤の副作用で骨がもろくなっていたようです。
──肉体的な苦痛に加え、音楽活動ができない精神的な不安は大きかったのでは。
「あみん」の時から41年になりますが、ソロでオリジナルアルバムを18枚作り、 ライブで歌ってきました。一曲一曲が私の中では大切な「絵日記」のようなものなのです。私の活動が止まったことで、そうしたものが跡形もなく忘れ去られていくのかなって思った時、すごく悲しくなりましたね。
今、置かれた状態に比べたら、どんな状況でもステージに立てるっていうことは、なんて幸せなことなんだって改めて思いました。
(『月刊なぜ生きる』令和5年7月号より)
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『月刊なぜ生きる』令和5年7月号
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