小説 泣こよかひっ飛べ ー第4回 越中さんの話|芝 修一

(前回までのあらすじ)
桜島を臨む港の舟を見て「武者修行の旅に出発しよう」と約束した捨八たち。しかし翌日、誰も来ないことを願い舟の様子をうかがっていた捨八は動揺する。来ないはずの啓一郎が舟に乗り込んだのだ。啓一郎の父にことの顚末を語った捨八は、自分の卑怯未練さと、面目なさに泣き出してしまう。一方、啓一郎を乗せた舟はゆっくりと港を離れていく。


啓一郎が覚悟の外に乗り込んで、意識の埒外のうちに港を出たであろう舟は客舟というよりも、むしろ荷舟ともいうほどの荷を積み込んで、舟着場を離れた。舟は、暫くの間は舟頭の漕ぐ櫓にまかせていたが、四半時程してようやく風が出て帆を上げた。

舟が帆を上げたちょうどその時、岩燕が黒く長い翼に任せて上空から風を切って急降下してきた。そして帆の前方を横切ったかと思うと、サッ!と海面をかすめながら崖の方へ飛んでいった。更に崖の直前で直角に切って上空をめがけて飛び、大きく輪を描いて岩穴に消えていった。

「あー、桜島も起き出したようですなぁ。ごらんなさい、朝げの支度にかかっている」

そう言って、舟客の一人が吸いかけのキセルで桜島を指した。

舟の右手はちょうど桜島の袴腰のあたりで、日の出とともに薄れていった朝靄は、わずかに桜島の真ん中を帯に巻いている。そのかわりに麓の村から白い煙が所々に見え始めた。

啓一郎は、昨日四人で見た舟に今、自分が乗って、それも岸を離れていくのが不思議な気がした。

「あれは、大崎鼻ですかな?」

と、他の舟客が舟頭に聞いた。

「いいえ、あなた。あれはまだ、竜ヶ水ですよ」と、舟頭は笑いながら答えた。舟はようやく竜ヶ水に差しかかったのだ。

舟は、そして尚、四半時走った。

舟が出た磯浜の海岸は、すでに、横に引かれた一筋の線になっている。その後ろは、薄い紫色をした山が、左側に徐々に裾を落として、桜島と交わっている。

目を移して、遠く大隅側を見ると、海岸の一部は海の光に溶け込んで、水と見分けがつかない。

この辺りまで来ると、海水は、もうほとんど紫色に見える。あちらこちらにまるで取り残されたように、大きな流れ藻の塊が漂っている。その下には無数の小魚が群れて、そこに強い陽射しが差し込んで、小魚の銀鱗が反射し光線の綾目をつくっている。

ときどき海面から飛び魚が跳ね上がって、水面すれすれを飛んでいく。そのたびにザワザワという、尾鰭の水面を叩く音が、あたりに響く。

「ごらんなさい、あれが、あなたのおっしゃる大崎鼻ですよ」

と、それから小半時ほど走った頃、先の客が言った。そして、またこう言った。

「時に、越中さん、あなたは仕事柄随分旅慣れておられる。どうです、舟旅の徒然に一つ、面白い話でも聞かせてもらえませんかな」

と、隣の男に持ちかけた。越中と呼ばれたのはその名の通り、越中富山を出発て、日本中を北から南へ薬の商いをしている40歳がらみの浅黒く日焼けした顔の、人の好さそうな男である。脇に大きな薬の背負い荷を置いて、煙草をつけている。

「どうです」

「そうですなあ」

越中は舟べりからキセル煙草 の吸殻を海に落とすと、皆を見回しながら言った。

「私が行く先々で見聞きしたことをことごとく話すとなると、なかなか」と言って、キセルを空吹きした。「それでは一つ、私が四国辺りを回り歩く途中に立ち寄った村の話でも、しますかな」

(『月刊なぜ生きる』令和4年5月号より)

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