【試し読み】「小倉百人一首」と京都・嵐山|歎異抄の旅

京都で、意外な発見をしました。

前号で紹介した祇王寺の取材を終え、JR 嵯峨嵐山駅へ向かって歩いていた時のことです。

道路脇に、「中院山荘跡( 小倉百人一首ゆかりの地)」と題する立て札がありました。

この辺りに源氏の武将であり、下野国(現在の栃木県)に領地を持つ宇都宮頼綱の山荘があったと記されています。

宇都宮頼綱といえば、この連載で何回も紹介した熊谷直実の友人です。

宇都宮の山荘が、なぜ、「小倉百人一首ゆかりの地」になるのでしょうか?

なぜ、下野国の武将が京都に住むようになったのでしょうか?

まず、熊谷直実と宇都宮頼綱の関係を伝えるエピソードを紹介してから、京都の嵐山を訪ねて、「小倉百人一首」誕生秘話を探ってみましょう。

源氏の武将・宇都宮頼綱と
熊谷直実の友情

源義経に従って、平家と戦っていた熊谷直実は、一谷の合戦で、平敦盛を討ち取りました。

手柄を立てたものの、彼は深く考え込んでしまったのです。敦盛は、自分の息子と同じ十七歳の若者でした。

「ああ、かわいそうなことをしてしまった。この子の親は、どんなに悲しむだろう。いくら戦とはいえ、俺はこれまで、どれだけ多くの人を殺してきただろうか。大変な罪を重ねてしまった。こんな者は、死んだら、どうなるのだろう……」

この時から、熊谷直実は、出家して仏教を聞き求めたいと思い始めたのです。

やがて、居ても立ってもいられなくなった熊谷は、京都の法然上人の元へ走りました。

「恐ろしい罪を造ってきた私に、救われる道がありましょうか」

不安な心を訴える熊谷に、法然上人は、「阿弥陀仏の本願は、そんな悪人のために建てられたのです。一心に弥陀の本願を聞きなさい。善人でさえ救われるのです。悪人が救われないはずがありません」と教えられたのでした。

熊谷は、「たとえ八つ裂きにされても、私ごとき者の助かる道はなかろうと、覚悟していましたのに……。こんな者を救ってくださる弥陀の本願があったとは……」と泣き崩れ、真剣に仏教を聞き求めるようになったのです。彼は、法然上人のお弟子となり、「法力房蓮生」とも、「蓮生房」とも呼ばれるようになりました。


熊谷直実は、武蔵国(現在の埼玉県)に領地がありました。

仏教を聞きたい一心で飛び出してきたので、故郷に残してきた母や子供のことが気になってなりません。

そこである日、法然上人に、「仏教にあえた喜びを、家族や友人にも伝えたいと思います。しばらく武蔵国へ帰ってもよろしいでしょうか」と願い出たのです。

法然上人は、「そなたは短気だからな。くれぐれも、道中で、争い事を起こしてはならんぞ」と念を押しながら許されました。

「心得ております。仏教の素晴らしさを、じっくりと話してまいります」

うれしそうに馬に乗って、京都から関東へ旅立ちました。

ところが、急に、「これはいかん。俺は、西に背を向けている。何という恩知らずだろう!」と叫んで、馬から下りてしまったのです。

東に向かって旅をしているのですから、当然、背中は西へ向きます。

それが、なぜ、いけないのでしょうか。熊谷は、こうつぶやきます。

「阿弥陀仏は西方にまします、と経典に説かれていることを忘れていた。救われた広大なご恩を思えば、どうして阿弥陀仏に背を向けて行けようか。バカだった、バカだった……」

そこで彼は、馬の背に、前と後、逆向きになって乗ったのです。

体を馬の尻尾に向けて座っている姿は、いかにも奇妙でした。しかし、これなら、馬が東へ進んでも、自分の背が西へ向く心配はありません。馬を自在に操って戦場を駆け回っていた熊谷でなければ、とてもできない離れ業でした。これが世に名高い「逆さ馬」です。

熊谷は、道々、次のような歌を詠んだといわれています。

浄土にも 剛の者とや 沙汰すらん  西に向かいて 後ろ見せねば

(意訳)今頃、極楽では、俺のことを、「娑婆には、すごい豪傑がいるものだ。馬に乗っても、大恩ある弥陀に背を向けないとは!」と、うわさしているだろう。

こうまでせずにおれないほど、弥陀に救われた喜びが、大きかったのです。


やがて、東海道で武者行列に出会いました。

槍、弓などをそろえ、正々堂々とした行進です。

熊谷は、もはや武士ではありません。立場をわきまえて、道端で土下座をしていました。ところが、自分の前で、行列がピタリと止まったのです。

見上げると、なんと馬上の者は、かつての戦友、宇都宮頼綱ではありませんか。彼は軽蔑したまなざしで、「子供一人殺したくらいで、なんだ、そのざまは。坊主になりやがって!」と言うが早いか、熊谷の顔に、つばを吐きかけたのでした。

(『月刊なぜ生きる』令和3年9月号より)

屈辱を受けた熊谷直実の怒りは爆発しました。

宇都宮から投げ与えられた刀を持ち、斬り合いがが起きるかと空気が張り詰めましたが、その後の熊谷の態度に心を動かされた宇都宮は、やがて自分も法然上人のお弟子となるのでした。

斬り合いを始めようとした二人が、打って変わって共に同じ師匠の弟子になるとは、どうしたことでしょうか?

つづきは『月刊なぜ生きる』令和3年9月号をごらんください。

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