歎異抄の旅【北陸編】
牛の角に火をつけよ!
義仲、俱利伽羅峠の戦い

牛の角から、赤い炎が……。

これを「火牛」といいます。

国道八号線を、富山県小矢部市から石川県津幡町へ向かって車を走らせると、道路の標識に火牛のイラストが描かれていました。さらに、倶利伽羅駅*、道の駅「倶利伽羅 源平の郷」には、勇ましい火牛像が設置されています。火牛は、観光客の誘致に大活躍しているようです。

火牛の像(道の駅「俱利伽羅 源平の郷」)

しかし、なぜ、牛の角に松明を?

目の前の松明に火をつけられたら、牛は驚いて暴れるに決まっています。

誰が、いつ、こんなことをしたのでしょうか。

この事情を詳しく知っているのが、親鸞聖人(しんらんしょうにん)の弟子、覚明(かくみょう)です。彼は、かつて源平の合戦で活躍した武将であり、源義仲(みなもとのよしなか)の参謀でした。

『平家物語』は、覚明を指して、「あっぱれ文武二道の達者かな」と記しています。

そんな覚明も、源平の合戦の後は、親鸞聖人の弟子になり、名を「西仏房」と改めていました。

越中と加賀の国境に、
なぜ、“地獄谷”ができたのか

親鸞聖人は35歳の時に、無実の罪で越後(新潟)へ流刑に処せられました。覚明(西仏房)も、親鸞聖人につき従い北陸道を北へ向かって旅を続けます。

やがて、越中(富山)の国府*・伏木*に到着した時、覚明は、二十数年前の出来事を思い出さずにはおれなかったのです。

木曽*で挙兵した源(木曽)義仲が、北陸を制覇して都へ進撃する際の重要な拠点が、伏木でした。

平家は、義仲の動きを阻止しようと、十万もの大軍を派遣します。

迎え撃つ義仲軍の兵力は、その半分しかありません。いかに破るか。参謀だった覚明は、どれほど知恵を絞り、苦労したか分かりません。

平家の軍勢は、越中(富山)と加賀(石川)の国境にある砺波山に本陣を置きました。倶利伽羅峠の辺りです。

これに対し義仲軍は、「もし敵が倶利伽羅峠を越えて、小矢部の平地に出てきたら勝ち目はない」として、夜が更けてから奇襲する作戦を立てます。この時、義仲がとった秘策が「火牛の計」だったと『源平盛衰記』に記されています。吉川英治の『新・平家物語』にも描かれていますので、その場面を掲載しましょう。

*倶利伽羅駅……IRいしかわ鉄道の駅

*国府……現在の県庁所在地にあたる

*伏木……富山県高岡市伏木

*木曽……長野県木曽地域

(『月刊なぜ生きる』令和4年11月号より)

続きは本誌をごらんください。

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