【試し読み】世界で初めて認知症の治療薬を開発した杉本八郎さん
世界で初めて認知症の治療薬を開発した
薬学博士・杉本八郎さん
病の母への恩返し
もう一つの新薬づくりに人生を懸ける
世界で初めてアルツハイマー型認知症の治療薬を開発したのがエーザイの元研究所長、杉本八郎さんである。
「そんな薬の開発は無謀」といわれた時代、数々の挫折を乗り越えて「夢」の薬にたどり着いた原点には、認知症になった母親を「何とか助けたい」という思いがあった。
その志は定年退職後も、認知症の新たな根本治療薬の開発に杉本さんを駆り立てる。
薬を作る喜び、その苦闘のドラマを創薬の「名人」に聞いた。
身を捨てて飛び込む新薬の開発
5年後には国内でも700万人を超えると予想される認知症。
65歳以上では5人に1人が認知症と見込まれる。
この認知症の進行を抑制する「塩酸ドネペジル」(商品名・アリセプト)を開発したのが、杉本さんの研究チームだった。
1997年に米国で発売された新薬はその後、約100カ国で承認され、ピーク時には年間3000億円を売り上げた。
そして今、開発しているのが、脳細胞が死滅するのを止める根本治療薬として注目される「GT863」である。
◇
京都大学薬学部の中に、杉本さんが社長を務める医薬品の研究開発企業「グリーン・テック」の研究室がある。
部屋の書棚の脇に一本の竹刀(しない)が立てかけてあった。
剣道七段という。
「試合で相手と対峙すると、どちらも怖いんですね。だから身を捨てて飛び込む。そして活路を見出す」。
これが新薬開発の「極意」でもあるという。
新薬開発の成功率は0.002パーセント、研究費は数百億円というから、「夢」を追うために背負う重圧は並大抵のものではない。
そうした人生の中で「終生、忘れえない一日」と語るのは1997年2月5日、米ジョージア州アトランタで開かれた認知症の新薬「アリセプト」の新発売大会だった。
ホテルの大ホールでは、エーザイと米国の製薬会社ファイザーの医療情報担当者(MR)ら約2500人が、「ドクター・スギモト」の登場を待っていた。
米アトランタで2500人の
スタンディングオベーション
「開発者を代表して、ドクター、ハチロー・スギモト!」。
司会者の声が響き渡ると、歓声と拍手のスタンディングオベーションが沸き起こる。
「会場がゴォーという地鳴りのような音に包まれて、いつまでも鳴りやまないんです。アメリカ人は靴を踏み鳴らすんですね。5分間くらいスピーチに入れなくて。もう壇上でどうしたらいいか分からないくらいでした」。
当時を振り返り杉本さんは苦笑いする。
スピーチでは、母親の認知症を治そうと開発を始めたこと、挫折続きだった研究過程などを伝えた。
約15分間の話が終わると、再びスタンディングオベーションが待っていた。
誰もが実現を信じていなかった「薬」誕生への、国境を超えた称賛だった。
新薬の効果に感激した女性が
テーブル席に
杉本さんがテーブルに戻ると、スラリとした長身の女性が現れた。
たまたま同じホテルに宿泊した航空会社のキビン・アテンダント(客室乗務員)という。
彼女はにっこりほほえむとこう言った。
「サンキュー・ベリー・マッチ!認知症になった祖母がアリセプトを服用して回復しました。特に家族の名前を思い出してくれたことが本当にうれしい。この会場に薬を作った方がいらっしゃると聞いて、ぜひお礼の気持ちを伝えたくて……」。
彼女の祖母は、発売前の治験でアリセプトを服用した患者の一人だった。
「実際に患者さんに使っていただいたうえでの言葉なので、感激でしたね。まさに研究者冥利に尽きます」。
思いがけぬ出会いに緊張した杉本さんは、彼女と握手した手が硬直して離せなくなり、冷や汗をかいたという。
「母の顔が浮かんで……」
布団の中で泣いた
その夜、杉本さんはホテルのベッドの中でいつまでも寝つけなかった。
「母親の顔が浮かんできましてね。母親が成功に導いてくれた感じがして。母の存在がなければこの研究に着手していませんから。そんな母に少しでも恩返しができたという喜び、私のような者でも世界の研究者の一員として認められたという喜び、そんないろんなものが複合的に思い出されて」。
いつしか布団をかぶり声をあげて泣いていた。
母のマツコさんはすでに世を去っている。
夜学に通って頭角を現す
研究生活は、船出から
順風満帆ではなかった
9人きょうだいの8番め。
「家は貧しく、早く仕事に就つこう」と、杉本さんは工業高校を卒業した昭和36年、エーザイに入社する。
研究員となったが、実態は大卒研究員の補助。
入社から3年後、専門知識を得ようと中央大学理工学部の夜間学部に入学した。
勉学と研究、昼夜分かたぬ努力の末、30歳の時、血圧降下剤「デタントール」の開発に成功。
エーザイでは初の海外での販売認可となる。
この確かな自信の上にやがて「アリセプト」が花開くことになるのだが、この大事業が達成されるにはまだ、もう一つのつらい出来事が必要とされた。
それが母親の異変だった。
「あんたさん、どなたですか?」
杉本さんは当時、千葉県の自宅から東京・文京区の会社に通い、帰宅途中に時折、江戸川区小松川の実家に顔を出していた。
「ある日、母が私の顔を見て、『あんたさん、どなたですか?』って聞くんです。『えっ、八郎だよ』って答えると、『そうですか。私にも八郎という子供がいるんですよ。あなたと同じ名前ね』と言うのです」。
呆然と母の顔を見つめるしかなかった。
「やっと親孝行ができると思っていた頃だっただけにショックでしたね。ずっと母の苦労を見てきたので。何としても薬を開発して母の病を治そうと心に誓いました」。
33歳の時だった。
(・・・本誌につづく)
この後、新薬開発までの道のりが本誌に掲載されています。
- 9人の子供を育てた母 薬で助けたい
- 「撃墜王」と中傷される中で見つけた新薬アリセプト
- 人生はすべて「当たりくじ」不本意な人事部時代に博士号
- 成功者とは、あきらめなかった人のこと
- 「恩」を知れば、生きる意味を考える
- 人生の夢を果たしたい 根本治療薬GT863
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