【試し読み】芸能57年、福祉の道62年 歌手・俳優の杉良太郎さん|一生懸命の木に花が咲く

一生懸命の木に花が咲く
「お金では買えないものを教えられた」

コロナ禍で、刑務所の視察・講話活動ができなくなった代わりに、本を通じて「命の尊さ」を考えてほしい──。そんな思いから昨年秋、推薦する書籍を法務省で発表した。杉良太郎さんの福祉活動はこのほか、全国の被災地や海外の子供たちへの支援などと幅広く、その経歴は62年と、芸歴の57年を上回る。なぜ、そこまでボランティア活動に精魂を傾けるのか。「人生で大切なことは福祉から教わった」と語る杉さんの事務所を訪ねた。

思いを込めた本を
出所後の人生に

法務省から「特別矯正監」を永久委嘱されている杉さんは昨年10月、法務省を訪れ、上川陽子法相とともに、刑務所などに本を推薦する活動を発表した。杉さんが持参した書籍は『命のビザを繋いだ男 小辻節三とユダヤ難民』。ともに訪問した「矯正支援官」のEXILE(エグザイル)ATSUSHIさんらも『なぜ生きる』などの書籍を推薦した。これらの本は、全国の刑務所や少年院などに配置される。

法務省を訪れ、推薦する書籍を発表する杉良太郎さん(右端)。
向かって左から、EXILE ATSUSHIさん、AKB48の向井地美音さん、上川陽子法相(昨年10月23日)

杉さんは「60年以上、刑事施設で講話もしてきましたが、本は何度でも読み返せるのがいい。出所後の人生を考えるきっかけになってもらえたらと思います。これからも続けていきたいですね」と語る。

芸能界やスポーツ界からすでに10名を超える賛同者もある。「皆さん、成功するにはいろいろ苦労もしてきたと思います。そんな人たちが人生で影響を受けた本が毎年届けば、いろんな思いの詰まった図書室ができるはず。小さな種まきの積み重ねが大事なのです」

こうした刑事施設との交流のほか、杉さんは、東日本大震災の時には数万食のカレーライスや豚汁、サラダを届けるなど、各地の被災地にも足を運ぶ。アジアの途上国では50カ所以上に学校を作ったり、ベトナムの孤児たち152人の里親になったりする など、国内外に活動を広げている。

東日本大震災の被災地で
カレーライスなどの食事を配る杉さん
(平成23年4月、宮城県で)
東日本大震災の被災地で、住民に語りかける杉さん(平成23年4月、福島県で)

60年の長きにわたり活動を続ける信念はどこから生まれるのか。幼少期から20代にかけての出来事が、その源流となっているようだ。

「まかぬ種は生えぬ」を心に
涙と一緒に食べたカレー

「子供の頃のわが家は本当に貧しかったのですが、母親は、今晩食べるものがない時でも、人の面倒を見るような人でした。子供心にも、大丈夫なのかなと思うこともありましたが、母は『人には親切、慈悲、 情け』『まかぬ種は生えないよ』といつも教えてくれました」

「歌手になれば、親に楽をさせてやれる」と、故郷の神戸から上京したのは昭和38年、18歳の時。墨田区向島のカレー屋で働きながら、週2日の歌のレッスンに通った。給料なしで朝の6時から夜の11時まで。三食は連日、店のカレーライスだった。電車賃もなく、レッスンには片道2時間半の道を歩いた。

ある時、店の主人から、理由もなくどなられたことがある。「悲しいとか悔しいとかいうより、ただただ涙が流れました」。食べていたカレーの上にたまっていく涙を見つめながら、カレーと一緒にスプーンですくって口に運んだ。「あのつらい日々があったからこそ、その後の福祉活動の中でも、相手の寂しさやつらさが、言葉なしでも分かるようになっていったように思います」と振り返る。

 (中略)

本当の拍手との出会い
施設の人たちが「芸の先生」

──長いボランティア活動の中では、どんな出会いがあったのでしょうか。

15歳の時、歌のレッスンに通っていた私は、盲目の歌の先生に誘われて初めて高齢者施設を訪ねました。歌い終わると、皆さん、中学生の私に手を合わせ、涙ながらに「ありがとう」と言ってくれ て、胸が熱くなったのを覚えています。以来、多くの方との出会いがありました。

中でも、平成8年に国立療養所菊池恵楓園(熊本県)と いうハンセン病療養所を訪ねた時のことは今も深く心に残っています。その5年前に、今度来る時は「遠山の金さん」をやる、という約束をしていたのです。

熊本県の菊池恵楓園を訪問した杉さん

恵楓園で芝居をやるには、じゅうぶんな設備もなく、途中で幕が落ちたり停電したりもしましたが、施設の人たちはじっと静かに見守ってくれました。クライマックスの「お白州」の場面になる頃には、すすり泣きや嗚咽が会場に広がっていきました。

私も胸に込み上げるものがあり、ラストシーンの「これにて、一件落着」のセリフがなかなか言えません。思えば、差別や偏見に苦しんできた方々に、一件落着ということはないのです。やっとの思いで、「一件落着」と言った時、怒涛のような拍手が起きました。

菊池恵楓園で行われた
「遠山の金さん」の公演(平成8年10月)

拍手にも、いろんな音があります。お世辞でたたく、励ましでたたくというのもある。でもこの時は、それまで耳にしたことのない拍手でした。手の拍手だけでなく、足を踏み鳴らす拍手もある、肩を寄せ合って擦れる音の拍手もある。みんなそれが混ざり合って舞台の上に伝わってきて、いつまでも鳴りやみません。

そこに私は、本当の拍手というものを聞いた。涙を見た。自分の芸の先生、生きていくうえでの先生というのは、こういったところにあるんだ、と思ったわけです。いくらお金を出しても聞けない拍手です。嘘や建前の多い世の中で、こうしたかけがえのないものを与えていただいたのは、福祉活動で出会った方たちだったのです。

(『月刊なぜ生きる』令和3年5月号より一部抜粋)

本誌では、福祉活動を通じての学びや、杉さんの人生観などをたっぷりと語っていただきました。

◆福祉は自分の心との闘い 広島の病院での出来事
◆お金は使う目的が大事 人間しょせん、胃袋は一つ
◆明日はわが身 自分の命を考えてほしい
◆断崖絶壁の上を歩いている あっけない人の命
◆一生懸命と同時に どっちに向かうかが大事

広島赤十字・原爆病院を訪れた杉さん(右端)(昭和45年)
里親になっている子供たちと、バックラー孤児院(ベトナム・ハノイ市)の園内を散策する杉さん(平成28年5月)

全文をお読みになりたい方は『月刊なぜ生きる』令和3年5月号をごらんください。

『月刊なぜ生きる』令和3年5月号
価格 600円(税込)