【試し読み】年相応に、体の具合が悪くなり、前向きになれません
自分の体が、あちこち具合が悪くなり、病院で診てもらうと、「年相応ですよ」と言われ、自分もそんな年になったのかとショックを受けます。
また、友達との会話も、病気の話ばかりになってしまい、楽しくありません。
若い頃のように、とはいかなくても、もう少し、前向きに生きたいのですが、どうしたらいいでしょうか?
医者が「年相応ですよ」と言うのは、「特に大きな病気はありませんよ」という意味です
年齢を重ねると、今までできていたこともできなくなったり、時間がかかったりするようになります。ちょっとしたことで疲れやすかったり、痛みが続いたりなど、今まであまり病院に縁がなかった人も、次々と体の症状が出てきて、病院通いが日課になる人もあります。
そうするうちに、自分の体に自信がなくなってきて、「あそこが悪くなった」「ここが都合が悪い」と日々悩むようになったりします。
「何か大きな病気にでもなったのではないか」と心配して病院を受診しても、いろいろな検査の結果、特に大きな異常は見つからない。
「年相応ですよ」という言葉は、医者としては、「特に大きな病気はありません。大丈夫ですよ」という意味なのですが、そう言われると、「そんな年になったのか」とまた落ち込んでしまう、という悪循環に陥っているのかもしれません。
心療内科でよく診る症状に、「病気不安症」というものがあります。以前は「心気症」ともいわれていました。
最初は、痛みやぴりぴりした皮膚の違和感のようなものがあって、病院を受診する。検査をしても異常がない。異常がなかったらそれで安心してよさそうなものですが、「異常がないなら、なぜこんな症状が出るのか」と悩み始めて、「やはり何か別の病気が隠れているのではないか」と不安になる。
そこで別の病院を受診して同じ訴えをするけれども、検査をしても異常がない。ますます不安になって病院を5つも6つも変えるけれどもやはり異常が見つからない。そうするうちに、さらに不安になって夜も眠れなくなり、症状も悪化したような気がして、もう治らない病気ではないか、と思い込んでしまう、という状態です。
なぜこういう状態になるかというと、最初の症状は、単なる加齢や疲れによって出てきた症状なのに、それを悩みすぎることによって、それがストレスになって、ストレスからくる身体症状が加わり、よけいに悩む、それがまた身体症状を悪化させる、という悪循環になっているのです。
このような状態に対して、「あまり気にしないように」「あまり悩みすぎないように」というアドバイスがよくなされますが、そう言われると、「悩みすぎることに悩んでしまう」のがこういう人たちなので、ちっとも改善することになりません。
体の不調のことは忘れて、
気分的に楽な日を増やすには、
どうすればいいのか
ではこういう人たちには、何がいちばんの治療法かというと、それは、「できるだけ忙しくする」ということです。
心を変える、ということはなかなか人間には難しいことですが、行動を変えることは、比較的簡単にできます。
今までできなかった片付けをする。人と会う約束をする。習い事や、さまざまな勉強会、講演会、コンサートに出掛ける。そうすると、そのような何かに没頭している時には、少なくとも体の不調のことは忘れています。
(『月刊なぜ生きる』令和3年10月号より)
気持ちの持ちようで身体も改善していくのですね。
続けて本誌では、脳の若さは保ち続けることができること、そして幸せと長寿の関係について教えていただきました。
全文をお読みになりたい方は『月刊なぜ生きる』令和3年10月号をごらんください。
『月刊なぜ生きる』令和3年10月号
価格 600円(税込)