【試し読み】励ます力、目覚める力|中仕切り(人生の折り返し)芝修一

今月号は、62歳で文学界の最高峰である芥川賞を受賞し、当時の社会現象にまでなった作家、森敦(もり あつし)氏のことを書いてみようと思う。

確かに、一生懸命に生きてきた人生を折り返して、もう一度、新たな自分を生きようということは、本当に難しいことかもしれない。でも、人生を生きる以上、人はその人生に深入りしなくてはもったいないと僕は思う。(芝修一)

太宰治、檀一雄と共に昭和文学界の三羽烏と期待された森敦さんが、若い頃に書いた『酩酊船(よいどれぶね)』以来、長い年月の沈黙を越えて名作『月山(がっさん)』を世に発表したのは61歳だった。

確かに森さん自身も語っているようにその日常生活において少しは文学的な雰囲気はあったとしても、数十年の年月を経て、あの名作『月山』を世に出すまでの強い意志と忍耐は、とても僕などの凡人には想像すらも出来ないものだったことだろうと思う。

森さんは「月山」をして自らの高さで立つ比類のない名山であるとよく言っていた。そして「あれは僕にいつも元気を与えてくれる山だよ」とそう言いそえた。

昭和51年、僕はその小説『月山』の舞台公演の脚本の執筆と演出をした。第一回を記念ということで、森さんが住む市谷の小さなホールで上演した。余談ながらこれが原作者である森さんはじめ存外好評を得、以来この芝居は、小説の舞台である山形県朝日村の注連寺(ちゅうれんじ)の本堂や、鶴岡市、東京、大阪など全国で8回ほど上演した。

その芝居の稽古期間中、僕は毎日のように時には役者やスタッフも森さんのお宅で酒をご馳走になった。そのおりの話である。

「芝君、酒も小説も君が書く芝居やドラマもすべて根は一つですよ」と言って、次のようなことを話してくれた。

「芝君、小説というのは、まっ、僕の『月山』でもそうだけど、人間の苦悩や惨状やらを書きながらも、読む人にたえず生きる力というか活力を与えるところがそなわっていなければ良い小説とは言えないのです」と言った。そして、

「君はドラマを書く時、根底におくものはなんです」と聞いた。

「そうですねえ、どんな悲惨な話でもその根底にはたえず、それでもこの社会は人が生きていく価値のあるところだという考えを見る人に伝えたい気持ちはありますねえ」と答えると、

「そうでしょう。良いドラマだの良い小説だのというのは、人を一生懸命元気づけることがその根底となっているんですよ」

「わかりました。小説やドラマは確かにそうかもしれません。僕も田舎から東京に出てきたばかりの18、9歳の頃に読んだ、バルザックの『ゴーリオ爺さん』の最後のくだりの<パリよこれから俺とお前の戦いだ……>というラスティニャックの台詞にどれほど勇気づけられたか知れませんからねえ。今もってその時の気持ちは忘れません。しかし、それは良いとして、さっきおっしゃった文学と酒、この二つどこが根を同じにするんです、一方は極めて創造性のあるもの、片方はまるでその用をなさないばかりか、身を滅ぼす場合もあるじゃありませんか」と僕が言うと、

「君は酒が身を滅ぼすと言うが、それは酒だけのせいじゃありませんよ、というよりむしろ酒はこの場合たんなる口実にすぎないのですよ。

確かに淋しくて、悲しくて、つらくて、ために酒を飲みますがね、じゃ今から死のうとその力をたのんで酒を浴びるほど飲む人はありません。鷗外の『阿部一族』に若い侍が殉死をする日、少し深酒をするシーンがありますが、あれは好きな酒を飲むの意味合いのもので、決して酒の力で死のうというものではありません。

確かに、しばしば酒は知の思考の欠如がありますよ。“気が大きくなる”“気が楽になる”それらは皆んな消極のほうへ向かうのではなくて一様に積極のほうへ指向しているのですよ。僕なんぞも若い頃はそれはもういたずらのかぎりをしたものですよ。何をやっても、いやあれは僕がやったんじゃない、酒と気がやったんだと言ってね。ハハハ……」とこの日初めて飲むという僕が持参した奄美の黒糖酒を、「これは君、天下の名酒ですよ。旨いねー」と何度も言いながら、冷たくして飲んだ。

(『月刊なぜ生きる』令和3年10月号より)

芝先生、素敵なエピソードをありがとうございました。

今回のタイトル「励ます力、目覚める力」とは何か、本誌では続けて語ってくださいました。

『月刊なぜ生きる』令和3年10月号
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