【試し読み】『平家物語』と平等院|歎異抄の旅

クイズです。十円玉の表に刻まれている建物は何でしょうか?

すぐに、答えられますか。宇治の平等院鳳凰堂です。

今回は、京都府宇治市へ向かいます。

JR宇治駅

「宇治といえば、宇治茶と『源氏物語』でしょう」という声が聞こえてきそうです。

しかし、有名な『源氏物語』よりも、あまり知られていない人物の足跡を訪ねてみたいのです。

その人の名は、源頼政(みなもとの よりまさ)。

77歳の時に、平等院の境内で自害した武将です。『平家物語』には、彼の辞世の歌が記されています。

埋もれ木の花咲くこともなかりしに
身のなる果てぞ悲しかりける

(意訳)土の中に埋もれている木には、花が咲くことはない。俺の一生も、長い間、土に埋もれて腐っていく木と同じだったな。
ああ、ついに! 一つの花も咲かせることなく、死んでいくのか。こんな悲しいことがあろうか……。

心に響く歌です。源頼政とは、どんな人物だったのでしょうか。

なぜ起きた?平家と源氏の争い

日本では、古くから「天皇」を中心に貴族が政治を行ってきました。この政府を「朝廷」といいます。

朝廷に従わない者が出てくると、天皇は、武士団に鎮圧を命じて、権力を保ってきたのです。武士団には、大きく分けて、源氏と平家の、二つの勢力がありました。

ところが、皇室や貴族の間で、次の天皇を誰にするか、高い官職に誰が就くかという争いが起きるようになります。

武士たちは、対立する権力者から誘われ、どちらかに味方して、京都などで市街戦を繰り返しました。

これが、世にいう保元の乱(1156)、平治の乱(1159)です。二つの戦いに勝利したのは平清盛でした。

清盛は、その後、とんとん拍子に出世を果たし、平家は絶大な権力を手に入れていきます。

逆に、敗れた源氏は、主な武将が殺されたり、流刑に遭ったりして、全く存在感を失ってしまいました。

しかし、源氏でありながら、平治の乱の時、清盛に味方をした武将がいました。それが頼政だったのです。

平家に従ったにもかかわらず、頼政への恩賞は少ないものでした。

それでも頼政は、清盛に忠実に従い続けます。平家への反感を、顔に出すようなことはありませんでした。

そうして約20年の歳月が流れました。

75歳になった頼政は、源氏武将の出身者としては異例の高い官位へ昇進します。これは、清盛が、「逆賊の多い源氏の中で、頼政ただ一人が、正直で勇名の聞こえが高い」と、強く進言したからでした。

いかに頼政が、清盛に信頼されていたかが分かります。

「渡れよ、渡れ!」
平家の大軍、宇治川の急流へ

それから2年後のことです。

以仁王(皇族)が、平家打倒を目指してクーデターを起こしました。都から、各地に潜む源氏へ、「挙兵せよ」と命令書を送ったのです。

清盛は、源頼政らの武将に、以仁王の逮捕を命じました。

ところがやがて、この反乱を計画した中心人物が頼政だったと判明したのです。

「まさか、あの男が!」と、清盛は激怒します。

頼政は、平家からの理不尽な扱いに耐え抜いてきましたが、ついに我慢できず、怒りが爆発したのでした。

清盛は、直ちに鎮圧軍を派遣します。

頼政は、都を脱出し、奈良へ向かっていました。ちょうど、宇治の平等院で休息している時に、平家の大軍に追いつかれてしまいます。両軍は、宇治川をはさんで対峙し、宇治橋で激突したのでした。

水量が多く、流れも急な宇治川に架かる宇治橋


今日の宇治橋を訪ねてみましょう。

JR京都駅から奈良線の電車に乗り、約30分で宇治駅に着きます。

駅を背に、左へ約8分歩くと宇治橋が見えてきました。

宇治川に架かる宇治橋は、「日本三古橋」の一つに数えられています。

歴史が古く、最初に橋が架けられたのは約1500年も前のことです。奈良と京都を結ぶ重要なルートだったのでしょう。

現在の橋は、平成8年に架け替えられたものです。どっしりとした重厚感があります。

橋の下を見ると、とても流れが急です。橋脚にぶつかる水は、勢いよく白い波を立てていました。『平家物語』には、この橋の上と下で繰り広げられた戦いが、生き生きと描かれています。意訳してみましょう。

◆ ◆ ◆

平家は、知盛(とももり)を大将として、二万八千の大軍で押し寄せ、宇治川に架かる橋を、続々と渡り始めました。

ところが、先頭で異変が起きます。

橋の板が、途中から外されているではありませんか。

「止まれ! 橋板がないぞ」

「押すな! 引き返すんだ!」

と、声を大にして叫びますが、後ろまで聞こえません。

他人より先に突入して手柄を立てたいと、どんどん押してくるので、先頭の二百人あまりが川に落ちて流されてしまいました。

これに対し、源頼政の軍勢の中から、一人の豪傑が橋の上へ進み出ました。

黒い鎧を着て、黒塗りの太刀を腰にさしています。黒い羽根がついた矢を24本背負い、黒く塗った弓を脇にはさんでいます。黒ずくめの男が、真っ白な柄の大長刀を手にして、大声で名乗りました。

「日頃から、うわさに聞いているだろう。今は、その目でしかと見よ。三井寺に、その人あり、と知られる浄妙房明秀(じょうみょうぼうめいしゅう)とは、俺のことだ。我と思う者はかかってこい。相手になろう」

こう言うやいなや、矢を弓につがえ、次々に射ていきます。12人を射殺し、11人に傷を負わせました。残った一本の矢を投げ捨て、裸足 になって、橋桁の上を、さらっと走っていきます。川へ落ちるのを恐れて、誰もそんな危ない所へ乗りませんが、浄妙房は広い道を走るように突き進んで行きました。

(『月刊なぜ生きる』令和3年10月号より)

平家打倒を目指してクーデターを計画した源頼政の軍は、豪傑・浄妙房の奮闘によって優位に立ちます。

しかし、平家の大将・知盛(とももり)も負けてはいません。

源頼政と平家軍の行く末はいかに!

つづきは『月刊なぜ生きる』令和3年10月号をごらんください。

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