森敦さんとのことⅡ|中仕切り(人生の折り返し)芝修一

なにげない話の中に、思いもよらない知識や文化を知ることがあるものだが、この話はまさにそれをうらづけてみせる、博聞強記・森敦さんの面目躍如の話である。

「芝君、エチケットの語源を君、知っていますか?」

いつだったか神楽坂の小さな鰻屋で森さんと、なにかのついでにエチケットの話をしたことがある。

「エッ? エチケットというと……あのエチケットのことですか?」

「そうですよ、そのエチケットですよ」

僕は少し考えて、

「いわゆる英語の etiquette ではないのですか?」

と言うと、森さんは目元に笑みを浮かべて、

「それは日本語の場合ですよ。ところがおもしろいことに、その英語にも語源というのがあるんですよ」

「へぇー、知らなかったなあー。ひょっとしたらそれは古代エジプトかなんかの言葉ですか?」

と、僕は少なからず興味を引き起こされて、思わず身を乗り出した。

「いえ、フランスですよ」と、森さんはあっさり言った。僕は主題があまりに簡明に道破されたのと、フランスと言われてそうそう意外性もなく、又そこにドラマチックな感じも受けなかったので、肩透かしをくらった気分で、「あ、そうですか」と、言って身を引いた。

僕に限ったことではないと思うが、森さんと会った日は必ず知的なもの、精神的なもの、なにかこう言いようのないなにかを授けられて帰ることが常だった。

鷗外の小説『独身』では博聞強記の主人(大野豊)に対して客の富田が「又お講釈だ。ちょいと話をしている間にでも、おや、又教えられたなと思う。あれが苦痛だね」と、顔をしかめる場面がある。

しかし、我々にとって森さんの話は広辞苑に草履をはかせて諸国を漫遊させたほどの深みと啓示を与えて余りあるものがあった。だから、つい長居することが多かった。

「ハハハ……君、そうがっかりするもんじゃありませんよ。おもしろいと言ったのは国のことではなくて語源ですよ」

と、ゆっくりたばこをくゆらせながら左のようなことを言った。

エチケットは英語の etiquette が語源となったのは確かだが、この英語も、本をただせばフランス語の étiquette からきてい、そも、その意味は小さな杭で、その杭というのが自分の土地と他人の土地の境を意味するもので、これがエチケットと言われてきた。

それがいつの頃からか例えば八百屋の店先に値段を書いた小さな板切れ、あの値段標識とも言うべきあの小さな板切れもエチケットと呼ばれるようになった。それから山道の標識、あれなどもただ案内という意味にとどまらず正しい山歩きの礼儀作法という意味も含めてエチケットと言う。

(『月刊なぜ生きる』令和4年1月号より一部抜粋)

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