「こども食堂」の生みの親 近藤博子さん(「気まぐれ八百屋だんだん」店主)
一人一人の人生と“伴走”する
「こども食堂」という言葉が生まれて今年で10年になる。
親しみやすいネーミングが受け、今では全国に約5,000カ所あるといわれる。
その生みの親が、近藤博子(こんどう ひろこ)さんだ。
ただ、急速に普及した結果、「貧困家庭の子に食事を与える所」といった紋切り型の解釈が、誤解や混乱を生むケースも少なくない。
そもそも「こども食堂」という表現にはどんな願いが込められていたのだろうか。
10年の軌跡を振り返りつつ、近藤さんに語ってもらった。
発祥の地は大田区の八百屋さん
近藤さんが営む「気まぐれ八百屋だんだん」は、東京・大田区の蓮沼駅の近くにあった。「だんだん」は、近藤さんの出身地、島根県の方言で「ありがとう」の意味という。店内にはカウンターとテーブル席があり、「こども食堂」は毎週木曜の午後5時半から8時まで開店する。小学生を中心に50人以上が集まるが、「今は、新型コロナのため、予約制で弁当を用意しています」と言う。
近藤さんの「こども食堂」が生まれたのは平成24年。きっかけは、八百屋の店先で交わされた近藤さんと、近所の小学校の女性副校長との会話だった。
給食以外はバナナ一本の男の子
「今年入学した男の子は、お母さんが病気を抱えていて、学校も休みがち。学校の給食以外は、バナナ一本だけで過ごしているから、時々、おにぎりを作って保健室で食べさせているの」と副校長は言う。
「まさか」と近藤さんは思った。「飽食の日本で、三度の食事をきちんと食べられない子どもがいるなんて」という驚きと、「どうして近所の人たちがお手伝いしないのか」という悲しい気持ちが入り交じった。そこで「店には厨房があるから、あったかいご飯と具だくさんの味噌汁でも食べたら、みんなちょっとは元気出るかもね」と、子どもたちが集える場所を作ることにした。
「バナナの皮を独りでむいている子どもの後ろ姿が、目に浮かんできたんです。私、子どもの後ろ姿って、なにか哀愁が漂っていて切なくなるんです」
広がるこども食堂と「参加しづらい」の声
「独りでやれるのか?」「資金は?」などの不安はあったが、始めてみると、ボランティアのスタッフや食材の提供を申し出る人たちが次々に現れた。ある日、近藤さんの「こども食堂」を何度か訪れた年配の男性が「いつも楽しそうでいいな。俺もやりたい」と言って、都内のNPO法人と一緒に、近藤さんと同じ「こども食堂」の名前で活動を始めた。すると、マスコミが注目、そのネーミングは電波や紙面に乗って全国に広がっていく。
予想外の反響に近藤さんは「子どもたちのことを考える人たちが、こんなにいるというのはとても素晴らしい。日本も捨てたものではない」と思った。だが、気になることも出てきた。
こども食堂の全国的なつながりが生まれ、行政機関による助成金制度などもできてきたが、一方で、こども食堂が「貧困家庭の子どもを集めて食事をさせる場所」といった見方も生まれ、「参加しづらい」「迷惑施設のように扱われる」という声も聞こえてくる。
「こども食堂にいろんな形態はあっていいと思いますが、子どもが不安を感じるなら、それは本末転倒」と近藤さんは言う。こども食堂の「原点」とは何だったのだろうか。
(『月刊なぜ生きる』令和4年2月号より)
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