「面倒くさい病」が増えている

あなたの家族・友人が、「学校に行くのが面倒くさい」「会社で働くのが面倒」と訴えてきたら、どう反応すればよいでしょうか。「それなら、何がしたいの?」と聞いても、「楽がしたい」と答えるだけ。そんな「生活全般が面倒だ」という人が、増えています。現代に広がる「病」といえるでしょう。

あえて「病」と表現するのは、これが単に「怠けている」「忍耐力がない」「集中力に欠ける」という話ではなく、原因を見極めて解決しなければならない、深刻な問題だからです。

「仕事が面倒? 何を甘えているんだ! 黙って働け」と言いたくなる人も多いでしょう。しかし、多数派のいわゆる「健全」な主張には、落とし穴があります。

もし大勢の考えることが正しいのなら、哲学は必要ありません。「哲学」を英語で「フィロソフィー」といいますが、これは知ること(ソフィア)を愛する(フィロ)という意味のギリシャ語「フィロソフィア」に由来します。私たちの常識はたいてい、「何となくそう思っている」というだけのことで、論理的な根拠はありません。単なる思い込みを、哲学では「ドクサ」といいます。そういう偏見から解き放たれ、真理を知る知恵(エピステーメー)を得ることが、哲学の目標なのです。

「生きることが面倒だ」という思いは、一歩間違えば、「死んだほうが楽なのでは」という考えに転じます。この感情がどこから来るのか探りましょう。

なぜ、生きることが無意味に感じるのか

何かを「面倒だ」と思うこと自体は、決して悪いことではありません。「面倒」とは「効率が悪い」ということで、長い時間をかけても、少しの結果しか得られないことをいいます。いちいち人間の手足や頭を使わなくても、道具や機械、コンピューターによって、より楽に、より早くできるようになれば、それは喜ぶべきことでしょう。

昔は、ご飯を炊くこと一つとっても大変でした。米と水を釜に入れ、まきを燃やして温めるのですが、火加減が難しいのです。始めは弱火、中頃は強火で炊きます。沸騰し泡が出始めたら火を弱め、最後にパッと強火にしたら、しばらくふたを取らず、蒸らしておくことが必要でした。それが今では、炊飯器のボタンを押すだけです。

時間と労力をどうやって節約するか、手間を省く方法を考えることによって、人類は進歩してきました。不便な生活をしていても「面倒だ」と思わなければ、洗濯機も電子レンジも、電話も自動車も生まれなかったでしょう。

ところが、料理・洗濯・掃除などの家事が機械で楽にできるようになり、買い物もネットで注文すれば翌日に届く便利な時代になったのに、今度は勉強そのもの、仕事そのものが「面倒だ」という人が現れているのです。ここでいう「面倒」は、もはや「効率が悪い」どころではなく、「無駄」という意味になっています。

ではなぜ、生きることが無意味に感じられてしまうのでしょうか。頑張った先に、幸せがあるとは思えないからです。第二次世界大戦に敗れた日本は、首都を焼け野原にされ、貧乏のどん底でした。しかし、「働けば豊かになり、欲しいものが手に入る」という明確な目標があったので、困難に立ち向かうことができたのです。その結果、経済は右肩上がりに成長し、「学歴社会」といわれる時代が到来すると、「いい大学に入れば、いい会社に勤めて、いい暮らしができる」「大企業に就職すれば定年まで安泰」と信じられるようになりました。ところが1990年代初頭にバブルが崩壊して、状況は一変します。いつリストラされるか分からず、「一流」といわれる会社でさえ倒産してもおかしくない、不安な時代に突入ました。努力しても報われないと失望した若者が、無駄なエネルギーを使わないようにするのも当然でしょう。

(『月刊なぜ生きる』令和5年4月号より)

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