歎異抄の旅【新潟】
「越後七不思議」は、どこまで本当か

古典『歎異抄』には、親鸞聖人と弟子の対話が記されています。

その理解を深めるために、今回は日本海側で最も北に位置する親鸞聖人の旧跡を訪ねましょう。

東京から上越新幹線に乗り、終点・新潟駅に到着しました。

新潟市周辺に、親鸞聖人の足跡が多く残されています。まず、護摩堂山へ向かいます(南蒲原郡田上町)。新潟駅からレンタカーで国道403号線を一時間ほど走るとJR 田上駅。さらに湯田上温泉の方向へ1.5キロほど進むと、護摩堂山の登山口に着きました。

護摩堂山の城へ
悪人は、救われないのか?

今から800年前、田上を訪れた親鸞聖人は、こんなうわさを耳にしました。

「護摩堂山に城を築いた宮崎国光は、乱暴な行いが多い。家庭にも波風が絶えないらしい……」

すると親鸞聖人は、そのような場所を避けるのではなく、「苦しんでいる者にこそ、仏の教えを伝えねばならない」と、山を登り、城主・宮崎国光に会いに行かれたのです。

いくらなんでも、単身で城へ乗り込むのは危険です。城主が腹を立てれば殺されるかもしれません。親鸞聖人は、なんと大胆不敵な方なのでしょうか。

護摩堂山のふもとには広い駐車場がありました。山頂まで遊歩道が整備されているのでハイキングを楽しむ人が多いのです。頂上まで1,800メートル、徒歩40分と表示されています。予想よりも長い距離ですが、かつて、親鸞聖人が歩まれた道をたどって登ってみましょう。

護摩堂山の登山口には、大きな門がある
登山道の途中には、見晴らしのよい休憩所が設けられている

頂上には、3万本のあじさいが植えられているそうです。花が咲いている季節ならよかったのですが、私が登ったのは12月12日でした。山道は茶色い落ち葉に覆われています。あいにく、雨が降ったあとなので、ぬかるんでいて滑って転びそうでした。気温も低く、だんだん冷たい風が身にしみてきます。今にも雪が降りそうでした。

防寒具と長靴を準備してこなかったので、残念ながら1,200メートルほど進んだところで登山を断念し、引き返すことにしました。あじさいの花が咲く頃に、再び登りたいと思います。

親鸞聖人はこんな山道を登って護摩堂城へ入り、城主・宮崎国光に、阿弥陀仏の救いを説かれたのでした。

国光は、「自分のように何をやってもうまくいかず、悪いことをしてしまった者が、幸せになれるはずがない」と、やけになっていたのでしょう。しかし、阿弥陀仏は悪を造って苦しんでいる凡夫こそ救ってくださる、と聞いて驚いたのです。

親鸞聖人から、「どんな人も、正しい信心を獲れば、極楽浄土に往生できるのだよ」と教えられ、「もっと教えを聞かせてください」と、強く願うようになったのでした。

国光は、これまでの悪い行いを反省し、親鸞聖人のお弟子となり、「洗心房」と生まれ変わったのです。

『歎異抄』には、親鸞聖人が常におっしゃっていた言葉が、次のように記されています。

(原文)弥陀の本願には老少善悪の人をえらばず、ただ信心を要とすと知るべし(『歎異抄』第一章)

(意訳)弥陀の救いには、老いも若きも善人も悪人も、一切の差別はない。ただ信心を肝要と知らねばならぬ。

(原文)善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや(『歎異抄』第三章)

(意訳)善人でさえ浄土へ生まれることができる、ましてや悪人は、なおさらだ。

護摩堂山のふもとにある了玄寺の「田上町繋榧略縁起」には、この時、国光は焼いた榧(かや)の実を茶菓子として親鸞聖人にお出ししたと記されています。

榧の実を煎るとピーナツのような香ばしい味になるそうです。

国光は、親鸞聖人の突然の訪問を受けて、最初は口汚くののしり、乱暴なこともしたと思います。それが、教えを聞くうちに打ち解けて、お茶を飲みながら、和やかに話が弾んだのではないでしょうか。

(『月刊なぜ生きる』令和5年3月号より)

続きは本誌をごらんください。

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