歎異抄の旅【関東】
日野左衛門の枕石寺を訪ねて
「どう生きるか」も大切だが、
「なぜ生きるか」は、もっと大事だと思われませんか?

京都の観光名所・六角堂の本堂には、親鸞聖人の歌、

「寒くとも たもとに入れよ 西の風  弥陀の国より 吹くと思えば」

が掲げられています。

六角堂の本堂に掲げられている歌の額
(京都市中京区)

3年前に、この連載で六角堂を訪れた時には、歌のいわれを詳しく紹介することができませんでした。今回は、この歌が詠まれた場所、茨城県常陸太田市の枕石寺(ちんせきじ)を訪ねてみましょう。

親鸞聖人は、40歳を過ぎてから関東へ赴き、「『なぜ生きる』の答えが説かれている仏法を聞きたい人はいないか」と、常陸(現在の茨城県)の村から村へ、布教に出ておられました。

そんなある日、思いがけない出来事に遭遇されたのです。命にかかわるほどの危険な状況の中で詠まれたのが、「寒くとも……」の歌でした。

水戸黄門(徳川光圀)が、この歌のいわれを知って感動したと伝えられていますので、江戸時代には、広く知られていたのでしょう。

大正時代には、劇作家の倉田百三が、このエピソードを題材にして戯曲『出家とその弟子』を書きました。出版されるや、大ベストセラーとなり、空前の親鸞聖人ブームを巻き起こします。フランスの作家ロマン・ロランが大絶賛したことも有名です。英語、フランス語、ドイツ語などにも翻訳され、親鸞聖人の名は一躍、世界に広まったのです。

これほど有名な歌だからこそ、京都の六角堂にも掲げられているのです。日本人として、ぜひ、知っておきたいエピソードだと思います。

「どう生きるか」も大切だが、
「なぜ生きるか」は、もっと大事だと思われませんか?

3月22日、快晴。東京都の上野駅から朝7時30分発の常磐線特急「ときわ」で茨城県の水戸駅へ向かいました。

水戸駅から車で、国道349号線を北へ向かって30分ほど走ると「道の駅ひたちおおた 黄門の郷」が見えてきます。

休憩に寄ってみると、その名のとおり、水戸黄門、助さん、格さんのパネルが迎えてくれました。水戸黄門として知られる水戸藩二代藩主・徳川光圀(とくがわみつくに)が、隠居後に暮らしていた屋敷跡が、常陸太田市にあるので、「黄門の郷」と名づけられているようです。

この道の駅には、新鮮な野菜や加工品の直売所があります。地元の特産品や観光土産も多く売られていました。

枕石寺の門(常陸太田市上河合町)

道の駅から、車で5分ほど走った山田川のそばに、目的地、枕石寺がありました。本堂の前には、「親鸞聖人雪中枕石之聖蹟」と刻まれた大きな石碑が建っています。今から約800年前、ここで、何があったのでしょうか。

枕石寺の境内に建つ石碑(常陸太田市上河合町)

日野左衛門の無謀な仕打ち

枕石寺に伝わる縁起には、建暦2年(1212)11月27日のことだったと記されています。

親鸞聖人が二人の弟子とともに常陸の東北部へ向かった時、吹雪に見舞われ、道に迷ってしまわれたのです。日が暮れてきましたが、大雪の中で野宿もできません。困っていた時に、明かりのついた一軒家が見つかりました。

「道に迷い、吹雪で難儀しています。一夜の宿をお借りできないでしょうか」と頼むと、この家の主・日野左衛門(ひのざえもん)は、「おれは坊主は、大嫌いだ」と拒絶します。

「出ていかないと、たたき殺すぞ」と暴力を振るって、親鸞聖人と弟子たちを追い出したのでした。

あまりの仕打ちに、弟子たちは憤慨します。しかし、親鸞聖人は、「あのような日野左衛門にこそ、弥陀の本願をお伝えしたい」と諭されます。

玄関を出て、やむなく門の下に寄り添い合って、凍てつく夜を明かすことになりました。親鸞聖人は、門扉を止める石を枕に休まれたのです。冷たい西風が吹き込み、体には白い布団をかぶったように雪が積もっていきました。

日野左衛門の家の前で休まれる親鸞聖人
(映画『歎異抄をひらく 関東の親鸞』より)

このままでは朝を迎える前に凍え死ぬかもしれません。師匠の身を案じる弟子たちに、親鸞聖人は、次のように語りかけられます。

寒くとも たもとに入れよ 西の風  弥陀の国より 吹くと思えば

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏……。

阿弥陀如来からお受けした、大きなご恩を思えばなあ、親鸞。ものの数ではない」

「寒くとも……」の歌には次のような心が詠み込まれていると思います。

「この西の風は、弥陀の浄土から吹いているように思われる。だから衣の袖に入り込む寒風も、親鸞、拒みはしない。ただ知らされるのは、阿弥陀如来の広大なご恩である」


布団で眠る日野左衛門は、夜中に目を覚ましました。大雪の中、外へ追い出した人たちのことが気になったのです。

ふと、玄関の戸を開けてみると、門の下で、雪に埋もれながら休んでいる三人の姿を見て驚くのでした。

親鸞聖人が称えられる念仏には、一夜の宿を断られた恨みなど、微塵も感じられません。日野左衛門は、何かに打たれたように懺悔し、親鸞聖人を家の中へ招き入れるのでした。

囲炉裏に薪がくべられ、部屋には暖かい空気が満ちてきます。

このあと、親鸞聖人と日野左衛門の間で、どのようなやり取りがあったのでしょうか。アニメ映画『歎異抄をひらく 関東の親鸞』に詳しく描かれていますので、引用して紹介しましょう。

(『月刊なぜ生きる』令和5年5月号より)

続きは本誌をごらんください。

『月刊なぜ生きる』令和5年5月号
価格 600円(税込)