命を見つめて「みそ」を仕込む|河崎宏さん(「マルカワみそ」相談役)
生きる価値って何だろう?
百年を超える老舗の四代目。と聞けば、安定感のある人生を思いがちだが、河崎宏(かわさき ひろし)さん(67)の場合、そうではなかった。
「人間の命をカンナで削るような食品は作れない」という信念から、農薬や食品添加物とは無縁な昔ながらの「みそ」を世に出すためにかけた半生は、波乱の連続だった。
愚直ともいえるみそ作りを、支えてきたものは何だったのか。
そこには、「学生時代から捨てられない一つの〝問い〟があった」と河崎さんは振り返る。
蔵に棲む麹菌が
放つ濃厚な香り
河崎さんが営む「マルカワみそ」は、福井県越前市の平野部に広がる田園風景の中にあった。
北陸自動車道・武生インターのすぐ隣。車がまばらに通る県道を挟むように、店舗兼事務所と、三棟のみそ蔵が建っている。
「自然の発酵速度に任せてほぼ一年、ゆっくりと熟成させます」。穏やかな表情で語る河崎さんに案内されたみそ蔵では、大人の背丈を超える大きな木桶が60数本、静かな眠りに就いていた。濃厚なチーズを思わせる甘酸っぱい発酵の香りが満ちた空間は、微生物たちでにぎわう楽園のようだ。
河崎さんのみその特長は、原料の大豆や米が、農薬や化学肥料を使わない有機栽培で、添加物も使用しないこと。そして、自前の蔵に自生する「麹菌」を採取して発酵させていることにある。
「蔵に棲む自然な麹菌は発酵の力が強くて、昔ながらのおいしいみそに仕上げてくれます」と河崎さんは言う。これだけ手間をかけて作られるみそは、全国でも極めて珍しい。
安心安全を第一に考える河崎さんの姿勢が、海外からも注文が殺到する、年商3億6千万円という信頼の有機みそブランドを築いた。ただ、一般のみそより資金と労力のかかるみそ作りへの道のりは平坦ではなかった。
人生を変えた
「食品汚染」の本
河崎さんが、有機みそ作りを始めるきっかけは、東京農業大学の醸造学科に通っていた頃、書店でたまたま手にした一冊の本だった。『恐るべき食品汚染』( 武者宗一郎著)──。そこには、当時、新聞をにぎわせた食品添加物問題を心配する妊婦の相談などが報告され、食品に投与される大量の化学物質に警鐘を鳴らしていた。
「焼いた食パンを型から外しやすくするため、型の内側に流動パラフィン(化学物質)を塗るということも書いてありました。日本では、規制を受けない農薬や添加物が海外より多かったのです」
食品の安全には無関心だった河崎さんだが、この時、人生のベクトルが変わった。みそ屋の後継者として強烈な疑問が浮かび上がった。
食べ物とは〈企業が金を儲けるための手段なのか、それとも人間が生命を全うするための命の糧なのか?〉──。自分は何を指針にしたらいいのか。考えだすと、問いはさらに深まっていく。
〈では、人間が食べて生きるとは、どういうことか? 考えてみると、人間は、月曜に食べたものを火曜に排泄し、火曜に食べたものをまた水曜に……と、いわば歩く糞尿製造機みたいなものだが、それなら、家畜でもやっている。人間だけができることって何だろう。人が生きていく価値って何だろう?〉
周囲の友人たちは「そんなの分からない」と言う。それどころか、「河崎、最近ちょっとおかしくなったんじゃないか」と不審げな顔をして、次第に離れていくのを感じた。
「命をカンナで削るような
ものは作りたくない」
卒業して郷里のみそ屋に戻ると、河崎さんは父親に次のように切り出した。
「オレは人の命をカンナで削るようなものは作りたくない。お客さんの健康のプラスになるみそを作りたい」。学生時代からの疑問に対して出した一つの答えだった。
だが、返ってきた答えは、予想外のものだった。「おまえ、なに寝言みたいなこと言っているんや。無農薬の大豆や米なんて世の中にはない。もしあったとしても、そんな高い原料で作って、誰が買ってくれるんや」──。けちょんけちょんに怒られた。それが業界の〝常識〟でもあった。
(『月刊なぜ生きる』令和4年3月号より)
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『月刊なぜ生きる』令和4年3月号
価格 600円(税込)