15分で分かる「実存哲学」
「人生の目的が分からない」
これほど深刻な不安はない

「人」と「石ころ」、どこが違うか

「人生の目的」を知るには、まず「人生」とはいかなるものかを知らなければなりません。いや、そもそも「人」とはどんな存在なのか、道ばたの石ころとどこが違うのか、そこから掘り下げなければならないのです。

今、この文章を部屋で読んでいる人ならば、目の前には机や椅子、電灯もあればエアコン、そこを出入りする空気、水の注がれたコップ、皿に盛られたお菓子など、さまざまな物が存在しているでしょう。

私たち人間も、世界の片隅に「存在しているもの」の一つですが、「空気」や「水」「石」のような、ただそこにあるだけの物体とは、明らかに異なる存在です。そのため、哲学では人間のことを、他の存在とは区別して、「現実存在」、略して「実存」といいます。その実存とはいかなるものかを探求するのが、「実存哲学」といわれる分野です。

人間に「生まれる」とは、
海に「投げ出される」こと

実存哲学も他の哲学と同様、聞き慣れない専門用語が使われますが、人生を海のようなものだと考えれば、それほど難しい話ではありません。


まず、自分が生まれた時のことを思い出してください。何も覚えていないでしょう。気がついたら、もう人生は始まっていたのです。だから「生まれた」ということは、人生という大海原に「投げ出された」ことに例えられます。この状態を20世紀最大の哲学者ハイデガーは、「被投性」と名づけました。私たちは、いつどこに誕生するか考えた末に、「よし生まれよう」と決意して生まれてきたのではありません。自分の意志と無関係に、無理やり、大海に投げ込まれたようなものなのです。

(『月刊なぜ生きる』令和5年11月号より)

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『月刊なぜ生きる』令和5年11月号
価格 600円(税込)