【小説】泣こよかひっ飛べ 第11回 彼岸花
(前回までのあらすじ)
桜島を臨む港から、武者修行に行く約束をした捨八たちだったが、残るはずの啓一郎が一人舟に乗り、浜之市に着く。町人の子供たちから、よく分からないまま綱ん番を引き受けた啓一郎。刀を持ってやってきた長太郎に対し、大義のない戦いは決して許されないという思いから、躊躇しながらも立ち向かい、無事に綱を守ることができたのであった。
◆◇◆
明けて、武者修行2日目の朝である。
啓一郎は、「今夜の綱を見てからでも……」と宮司のすすめるのを断って、夜明けの黎明の中を霧島に向けて出発した。
浜之市から日向に向かう道筋は二つある。
一つは、国分から志布志を経て日向に入る街道筋。
今一つが、日当山から霧島の山谷を歩いて都城に出る山道。この二つである。
小さな、旅慣れない啓一郎のためには、街道筋を行くのが楽であったが、捨八の言う、追手から少しでも離れていたいという思いがあって、楽な街道筋を避けて、追手への目くらましのために、あえて険しく、困難な所によっては人跡稀な山谷の間を行く山道に草鞋の先を向けることにしたのだ。
見上げれば、遠く霧島連山の山腹には白い朝霧がかかっている。
空気は清々しかった。
路傍の草はまだ朝露に濡れて、草鞋の底に重たかったが、啓一郎はずんずん歩いた。
浜之市を出発て四半時*1も 歩くと、目の前に稲田が広がった。9月もまだ中頃のことで、下葉の黄色い稲もあるが、刈り入れはまだ、先の事だと啓一郎は思った。
鹿児島のご城下に稲田はないが、学問所でこれくらいの事は学んでいる。それをここで見分けられたことが少しばかりうれしかった。
道も街道というより、堤のように高く築き上げた、田中の縄手道である。
田中のあちらこちらに、茅葺きの小さな家が建っている。どの家も眠りから覚めて、朝餉の白く細い煙が、清々しい空気の中に、一本の筋のように立ち上っている。
遠く高隈山頂から朝日が昇ってきた。
朝日は稲田にも射してきた。
黎明の中に、ただ一人歩を進めた啓一郎であったから、こうして人々の営みが始まった様子を見て、少し心強く思った。
早朝の縄手道には行きかう人の姿がほとんどない。それでも暫く歩いて、肩に籠をかついだ百姓風の男が一人、すれ違いざまに妙な目つきをして啓一郎を見て、通り過ぎていった。それから暫くの間、又、誰にも会わずに歩いた。
高隈山頂から射す朝日が連亘する霧島連山に谷間のような陰を作っている。
啓一郎はその霧島に向けて歩いている。
浜之市を出発して、一時も*2歩いた頃だった。道がT路に差し掛かった時、そのT路から来た一組の親子が、啓一郎の横を歩き始めた。
それは三味線を肩にかけて、7、8歳ばかりの小太鼓を首に下げた稚児巻きの小娘を連れた40歳がらみの晴着らしい印半纏(しるしばんてん)を着た旅の芸人風の親子である。
鹿児島のご城下でも、商家の店先などで門付けする旅芸人を遠見にすることはあるが、こんなに側近くで見たのはこれが初めてだった。
その親子がすぐ傍まで来たので、啓一郎はその親子と覚えず顔を見合わせたが、少し足を早めて二人の先を歩いた。
ところが暫く歩くと「もし」と、後ろから呼びかけるように娘が声をかけた。
しかし、啓一郎の返答がないとみて、娘は「もし、お侍様」と再び声をかけると、ほとんど袖が触るように啓一郎の横に並んだ。そして、「お侍様、旅をなさっているのね」と言って、黒く澄んだ少し愛嬌のある瞳で啓一郎を見上げた。ほんの一瞬ではあったが、娘の目が啓一郎の目をとらえた。啓一郎は思いがけないことに慌てたように目をそらした。
それでも、啓一郎は娘に問われて、何とか言わなくてはならないと思ったが、どうも言葉が見つからなくて、ただ無言で前を見つめて歩いた。
すると、「ねえ、どこに?」と娘は微かに笑みをたたえて啓一郎を下から仰ぎ見た。その瞳はさも、啓一郎を気に入ったような気持ちを隠さずにじっと見つめるという風だった。
「定まった所はない」と娘の目を振り払うように啓一郎は言った。
言ってしまうと、自分で、こんな娘に何ということを言ってしまったのだろうと思った。そして、娘の気持ちをそこなわなかっただろうかと思って、娘の顔をうかがった。
娘は、啓一郎の答えに驚いたようで、少し目を丸くしたが、すぐに口元に微笑みを作った。その微笑みがほんの微かなだけにそれが又、啓一郎には気になった。どうも自分を小馬鹿にして見下している微笑ではないかと思った。その見下しているのが自分の答えに対する罪のように思えて、その反動で、啓一郎はわずかに顔を赤くした。その赤くなったことを意識して、ひどく忌々しかった。
娘は言った。「私は日当山(ひなたやま)に行くの」と賢しげに言うと、父親と二人で朝の早いうちから歩き通して話すこともなかったのだろう、娘は堰(せき)を切ったように話し始めた。
*1 四半時……現在の約30分。
*2 一時……現在の約2時間。
(『月刊なぜ生きる』令和4年12月号より)
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