無理せず、あせらず、生涯元気に|宮畑豊さん(トレーニングセンター「サンプレイ」会長)
筋力トレーニングは、心も体も元気にする
「高齢者ほど、筋肉を鍛えないといけません。そうしないと、病気になる前に、人は足元から崩れてしまうのです」
優しい笑顔で語るのは、トレーニングセンター「サンプレイ」の会長・宮畑豊(みやはた ゆたか)さん、80歳。
筋力トレーニングと聞くと、「スポーツやボディビルなど、特別な人に必要なもの」と思っていませんか。宮畑会長は、そんな偏見を取り除き、一般の人に筋力トレーニングの素晴らしさを伝えたいと、講演や講習に、全国を飛び回ってきました。
生涯元気な体を作るには、どうしたらいいのでしょうか。
聞き手/山崎 豊(本誌編集長)
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東京都台東区にあるトレーニングセンター「サンプレイ」を訪ねました。JR 山手線の御徒町駅から、歩いて数分の所です。
正面玄関には、「祝 金メダル」と赤く染め抜かれた垂れ幕が掲げられていました。昨年の東京オリンピック柔道男子100キロ級で金メダルを獲得したウルフ・アロン選手の活躍をたたえているのです。
自動ドアが開くと、音楽家・長渕剛さんの書画が目に飛び込んできました。
ウルフ選手も、長渕さんも、ここでトレーニングを受けていたのです。
それだけでなく、大相撲の力士や、野球、競輪、テニスなどのスポーツ選手が、「強くなりたい」「スランプを克服したい」と、宮畑会長の指導を受けにきます。
プロばかりではありません。サンプレイは、宮畑会長が、「誰でも、気軽に参加できるように」と願って開設したトレーニングセンターです。
99歳の高齢者から学生まで、一般の人の姿も多く見かけます。中には、車椅子の人もリハビリに……。
なぜ、これほど幅広い層の人たちが、トレーニングセンターサンプレイに集まるのでしょうか。他の施設と、どこが違うのか?
宮畑会長は、ボディビルの選手として、日本や世界の大会で入賞、優勝し、39年間もトップの一角を占めてきました。ボディビル界のレジェンド(伝説的な人物)といわれています。また、歌手としても活躍し、キングレコードから「すとぐれ人生」「男のロマンを歌う」などのCDも発売。
そのような経歴が魅力となっているのでしょうか。
宮畑会長に、まず、サンプレイを設立した経緯をお聞きしました。
元気になりたい一心で
トレーニングを続けた
山崎 宮畑会長は、ボディビルで体を鍛えられたそうですね。若い頃からスポーツをなさっていたのですか。
宮畑 私は、奄美大島(鹿児島県)の出身です。奄美は、空手や相撲、柔道のような格闘技がとても盛んな土地柄なので、私も学生時代から柔道、相撲に打ち込んでいました。中学、高校と、鹿児島県大会では優勝経験があります。
高校卒業とともに大阪へ出て、会社に勤めながら、昭和39年の東京オリンピック柔道強化選手として稽古を重ねていました。
ところが、オリンピックの三カ月前に足のしびれや痛みがひどく、日常生活もままならなくなってしまったのです。脊椎分離症という難病でした。
トイレも一人では行けず、寝たきりの状態になりました。二度と歩けないかもしれない不安と、オリンピック出場の夢を失った虚無感で毎晩泣きました。
医者からは、運動はもう無理だろうと言われました。
一年後には退院したものの、経過はおもわしくなく、とても運動のできる体ではありませんでした。
「自分で何とかするしかない」
そう決めてからは、体にいいといわれるものは何でもやりました。温泉治療、膏薬、鍼灸、カイロプラクティックなど、すべてやり尽くしたのです。それでも治りませんでした。
建築関係の会社に就職したところ、社内にボディビルのクラブがあったのです。
「自分の筋肉を全部作り直したら、全く別人のように動けるようになるかもしれない」と、まだ若かった私は、ボディビルに賭けてみたのです。
退院したばかりで、最初は体力がありませんでしたが、そこは、奄美で培った「すとぐれ*根性」です。腰痛を治すために、仕事をしながらトレーニングを続けました。徐々に力をつけ、二年めからボディビルの大会で入賞するようになりました。
山崎 ボディビルに打ち込んだ目的は、大会で賞を取ることではなく、腰痛を治すためだったのですね。
宮畑 そうです。ボディビルの大会に出ると決めて、どういう状況の中でも、自分なりにトレーニングを続けていました。
例えば、「サンシャイン60」という超高層ビルの建築現場で働いていた時は、1階から60階まで、建築の残材を持って上りました。あんな鍛え方をしたのは、私だけでしょうね。
山崎 あきらめることなく、努力されたのですね。
宮畑 元気になりたいという思い一つでした。その結果が、脊椎分離症克服と、ボディビルの大会での優勝につながったのです。
腰痛がよくなったといっても、完全に治ったわけではありません。体を鍛え続けなければなりません。
しかし、当時は、トレーニングセンターへ行こうと思っても、夕方6時か7時に閉まるところばかりでした。会社の仕事が終わってから利用できなかったのです。
それなら、自分でトレーニングセンターを作ろうと思い立ったのです。
「自分が元気になりたい、自分に合ったトレーニングを続けたい」という思いからです。
また同時に、私のように病気で苦しんでいる人たちに元気になってほしかったのです。そのために、自分が手探りで実践してきて効果があったことを伝えたかったのです。
80歳になった今も、トレーナーとして人に指導しながら、自分でストレッチ運動を続けています。
山崎 それこそ、「利他の精神」ですね。人のためになるままが、自分のためになるという取り組みは素晴らしいと思います。
*すとぐれ……奄美の方言で、「負けてたまるか!」という意味。
(『月刊なぜ生きる』令和4年3月号より)
続きは本誌をごらんください。
『月刊なぜ生きる』令和4年3月号
価格 600円(税込)